露軍拘束の米軍事アナリスト、「強奪・脅迫・地下室監禁」の10日間を語る

ウクライナの首都キーウ北西の郊外、ホストメリの空港を警備するウクライナ兵。ジョンソンさんとイリーナさんは、ロシア軍の捕虜としてここに拘束されていた。(Photo by CELESTINO ARCE/NURPHOTO/GETTY IMAGES)

ウクライナ脱出を試みた米軍事アナリスト兼ジャーナリストのルーベン・F・ジョンソンさんと妻のイリーナ・サムソネンコさんはロシア軍に捕えられ、尋問されたあげく、空港の地下の貯蔵庫に拘束された。それを知った18歳の息子が両親の救出を画策する。

【写真を見る】空港で見た混乱と絶望

ロシア兵たちが私の車に向かって銃を発砲した瞬間、もうダメだと死を覚悟した。ロシア軍によるウクライナ侵攻開始から8日目のことだ。私と妻のイリーナ・サムソネンコは、大急ぎでスーツケースとふたつのキャリーバッグにありとあらゆる貴重品を詰め込んだ。いまならまだイルピンの駅まで無事にたどり着ける——そう思いながら、運転手を雇った。イルピンはウクライナの首都キーウ(キエフ)郊外の小さな田舎町で、ロシア軍によるミサイル攻撃がはじまってから、私と妻はこの近くで暮らす友人のゲストハウスに避難していた。駅を目指して車を走らせるや否や、私たちの期待とは裏腹にロシア軍の装甲車両と鉢合わせてしまった。

「戦車よ!」。助手席に座っていたイリーナが誰よりも先にロシア兵を見つけて叫んだ。「車をバックさせて! 引き返して!」。イリーナが声を上げると、運転手は必死でギアをリバースに入れようとした。

もはや手遅れだった。ロシア兵たちは何の警告もなく機関銃を構え、私たちのトヨタの「カムリ」に集中射撃を浴びせた。すると次の瞬間、カムリを追いかけはじめたのだ。私は運転席の後ろに身を隠した。銃弾によってフロントガラスが粉々に砕ける音が耳をつんざく。

記憶があいまいで、その後の数秒間のことはよく覚えていない。私と妻は、どうにかして走行中のカムリから脱出して柵を乗り越え、真っ青な仮設トイレの後ろに隠れることができた。運転手を失ったカムリはそのまま猛スピードで傾斜を下り、小さなアパートメントを囲む柵に衝突して止まった。カムリは見るも無惨な姿で、蜂の巣のように穴だらけだ。

「出てきなさい——トイレの後ろに隠れていることはわかっているんだ」と、ひとりのロシア兵が叫ぶ。盾としてはまったく役立たずの仮設トイレ(プラスチック製の仮設トイレに防弾機能は期待できない)の後ろから両手を挙げて恐る恐る出ると、自分たちは丸腰の民間人で、駅に行く途中だと説明した。ロシア兵たちが詰め寄り、私たちと妻の顔に銃口を向ける。

だがこれは、迫り来る悪夢の序章に過ぎなかった。“世界最恐”の異名をとる残酷な軍隊に捕えられた私と妻には、拘束と尋問という恐ろしい運命が待ち構えていたのだ。私たちが捕えられた場所から何マイルも離れた英国で暮らす18歳の息子にとっては、不可能ともいうべき救出作戦のはじまりでもあった。

悪夢は、ひとつの誤算からはじまった。「戦争は起きない」——キーウでは、知識人やその筋に明るいと言われる多くの人がこの言葉を繰り返していた。私と妻がウクライナで暮らすようになってから21年がたつ。私は米国出身の軍事アナリストで、ロシア政治のアナリストおよび航空コンサルタントとしての経歴をもつ。プーチン大統領が武力でウクライナを脅すのは、近年では決して珍しいことではない。私は、そこに武力による威嚇行為以上の意味はないと思っていた。どうやら私は間違っていたようだ。

Translated by Shoko Natori

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE