「今の音楽はトラウマレベル」堕落したロックと社会をファット・ホワイト・ファミリーが辛口批判

ロックの凋落をもたらした「再生産」

―アルバムには、タイトルがずばり「John Lennon」という曲がありますね。ジョン・レノンはあなたにとって何を象徴する存在だと言えますか?

リアス:ヨーコが偉大な「家長」のような存在であったように、ジョン・レノンはあらゆるものの「創始者」のように感じるけど、具体的に何を象徴する存在かはわからないな。この曲は、俺がハイになった時に(幻覚もしくは空想の中で)ヨーコと出会って、体験したエピソードなんだ。あの世で独りの時間を長期間過ごしていることに不満を感じているジョンの魂が俺に乗り移って、ジョンは俺を通してヨーコとコミュニケーションを取ろうとしているっていう。



―あなたはUnHerdの連載コラムでカート・コバーンを取り上げ、ロックが文化の中で生命力を失った今、あのような悲劇がロックアーティストに再び起こることは想像しがたいと書いていました。ジョン・レノンというのは、ロックが文化的な生命力を持っていた時代の象徴でもあるのでしょうか?

リアス:そうだね。ロックには、以前と同等のインパクトはもうない。もはや、サブカルチャーは存在しないんだ。すべてがデジタルで均質化され、消費主義にまみれた結果、俺たちは別の世界を「想像する」能力を使い果たしてしまった。これまでの歴史を振り返ると、ある瞬間がちょうどいいタイミングで重なることがある。ロックンロールは、戦後の好景気に沸いた60年代初頭に、すべてがちょうどいいタイミングで重なって、誕生した。社会的自由や平等に関する新たな考え方が生まれたのもこの時代だし、誰もがラジオを入手できるようになったのもこの頃。あの時代は、物事が急速に変化する瞬間だった。その渦中に、イングランド北部からやってきた若者(=ビートルズ)を通して、集団的な夢想が起こったんだ。これほど多くの想像力が、たった数人の個人に集約されるというのは、凄いことだよ。

―その通りですね。

リアス:ジョン・レノンであれ、ボブ・ディランであれ、ルー・リードであれ、そういった巨人はもう登場しない気がする。ロックンロールそのものは、とっくの昔に頂点に達し、現在その山を下り続けている。だからこそ、過去を振り返るにつれて、彼らがよりマジカルな存在に見えるんだろうね。

―別のコラムではハリー・スタイルズやThe 1975について否定的に言及していましたが、彼らが今のイギリスにおけるロックの代表的な存在とされることは問題だと感じていますか?

リアス:ハリー・スタイルズに関しては、新たな種類の愚か者が横行する兆候だろうね。かつて世界を動かしていた文化的な生命力が鈍化した結果、コピーのコピーのコピーのコピーのコピーしか生まれなくなるっていう(苦笑)。ルー・リードやジョン・レノンのようなオリジナリティに溢れた人物には強烈な影響力や生命力があっただろ? でも今、この世にあるのは、絶対的な企業による再生産のみなんだ。この事実だけでも気が滅入るのに、メディアを批評的に監視するのが仕事である音楽ジャーナリストが、この大嘘に屈してあたかも本物のように吹聴しているのは茶番でしかない。犯罪に近いね。そういったジャーナリストどもは自分自身をチェックするべきだよ。非人道的であることは確かで、彼らの核となるべき倫理観を大きく裏切っていると思う。


Photo by Louise Mason 

―カート・コバーンについてのコラムの中で、あなたはカニエ・ウェストを例に挙げ、ラップミュージックはまだ文化的な生命力を失っていないとしていました。そうしたラップミュージックとロックの違いはなぜ生まれてしまったのだと思いますか?

リアス:階級や楽器や機材等の入手、バンド演奏に要求される技術が関係しているね。バンド演奏にはドラムセット、ギター、アンプ……そして、メンバーも4、5人は必要だ。それから、大音量で練習できる場所の確保も必要だし、自分の作品を録音する場所やテクノロジーも必要。一方、自分の寝室でビートを作り、その上にライムを乗せることで、(ラップは)ロックンロールがかつて属していた文化的モードや一種のゲリラ的な力を持つことが出来る。そういうわけで、「文化的な生命力」としてのロックンロールは死に、ラップがその座を奪って、消費主義が横行するようになったと。ヒップホップの世界はきらびやかで、物質的なマトリックスの中で自己を主張しているからね。でも、バンドで演奏する人たちが特定の方法で繋がろうとしていた時代には、擬似的なものであれ、もっとスピリチュアルなものが存在していたんだ。間違いなく、それは過去のものとなった。今や、(ロックは)瀕死の状態だね。

―機材などの物理的な問題以外に、ロックが文化的な生命力を失った要因は何か思いつきますか?

リアス:以前、音楽の仕事がどれだけあったかを考えてみろよ? この前、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのドキュメンタリーを観たんだ。ルー・リードはピックウィックという小さなレーベルでジングルを書く仕事をしていて。商業用に書いた曲は12、13曲ほどアルバムに収録されて、ウールワースのようなスーパーで販売されていた。それに、昔はハウスバンドもあったし、経済的余裕もあった。レコード売り上げも見込めた。ところが、Spotifyの登場以降、完全に消滅したね。ラップミュージックはより少ない人数で作ることが可能だけど、ロックは「中流階級の娯楽」となって、その結果、「文化的な生命力」が奪われることになったんだ。



―Spotifyと言えば、最近、年間1000再生以下の楽曲は収益分配の対象から外すという新たな方針を発表しましたね。もちろんこれは、AIで曲を大量生産して稼ごうとしている層への対策でもあるのでしょうが。

リアス:もはや、オーウェル的悪夢だな。現在既に殆ど収益を得ていない底辺のアーティスト勢は、さらに受け取る額が減ることになるんだろうね。再生回数が1000回に満たないアーティストなんて、1000万人くらいいるだろ? 一体その収益は何処へ行くんだ? 何処かにあるはずなんだよ。テック系の連中は、まるで支配者のようにクソみたいな世界にしやがって、ウンザリするね。奴らは人間らしさを奪い、人間を機械に変えようとしている。奴らは何も(芸術的なものを)生み出していないのに、(音楽業界の)エコシステム全体を完全に破壊しているんだ。容赦ない消費資本と効率性によって支えられている世界の中で、音楽は人生を耐えうるものにしてくれるもののひとつなのに……。ウンザリするほど定型化され、利益を追求する世界で生きることに耐えられる、最後のひとつが音楽だった。奴らは音楽を資本の機械に変えてしまった。最後にはもう何も残らないだろうね。

―ポリコレの時代にタブーを破ることを恐れず、暴力的で挑発的で官能的なファット・ホワイト・ファミリーは、ロックを再び危険なものにしようとする、つまりロックに文化的な生命力を取り戻そうとする運動のようにも感じるのですが、そういった見方は納得できますか?

リアス:どんな時でも、自分が感じたことをやっているだけだよ。義務的な退屈さや、鈍化しているものへの反応なんだろうね。意図したものは一切ないんだ。ヘマをしながら荒れ地を彷徨って、つまずきながら、自分が失われた大義と戦っていることに漠然と気づいているんだ。「失敗」には魅力的な何かが存在するね。失敗がある意味では居心地良く感じられるようなこの時代では、理にかなっていると思う。

Translated by Keiko Yuyama

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