ジョン・ホプキンスが語る「アンビエントではない」没入型サウンド・アートの背景

Photo by Imogene Barron

ジョン・ホプキンス(Jon Hopkins)の最新アルバム『RITUAL』は、ホプキンスが2年前に参加したプロジェクト「Dreamachine」(※光の明滅を利用して見る人の心に色の放出や幻覚を引き起こすアート作品)の体験イベントにインスピレーションを得た作品になっている。グラミー賞の候補にも選ばれた『Singularity』(2018年)、そしてアマゾンでの洞窟体験をきっかけに制作された前作『Music for Psychedelic Therapy』(2021年)同様に、瞑想やスピリチュアルな探求を通じた形而上学的な関心がテーマになっていて、サウンド的にも引き続きアンビエント/ニューエイジ的なスタイルが推し進められているのが特徴だ。一方で、ビート/リズムにはフィジカルに作用する力強さや推進力が感じられる場面もあり、セブン・レイズ(7RAYS)とイシュク(Ishq)ら長年のコラボレーターを迎えた共同作業の成果を随所に聴き取ることができる。

なお、収録曲は便宜上「part ⅰ」「part ⅱ」……と数字を振って分けられているが、本来は全体の41分間で「一曲」という聴取体験を想定して書かれたものであるとのこと。いわく、「抵抗をやめて、深い体験に飛び込んで行くための音楽」――そう本作について語るホプキンスに、この完全没入型の“サウンド・アート”が生まれた背景、さらにエレクトロニック・ミュージックを取り巻く技術や環境の変化、その未来について話を聞いた。



音楽を通じた形而上学的な探究

─今回のニュー・アルバム『RITUAL』は、2022年にロンドンで開催された、「Dreamachine」というプロジェクトのインスタレーションのために作曲を依頼されたことがきっかけに生まれた作品だと聞きました。「Dreamachine」は、ウィリアム・S・バロウズが使用した「カット・アップ・メソッド」(※テキストをランダムに切り刻んで新しいテキストに作り直す文学技法)の発案者でもあるブライオン・ガイシンが60年代に発表したストロボ原理の幻覚装置ですが、そうした60年前のプロジェクトについてあらためて光が当てられることの意義についてあなたがどのように考えていたのか、今回のアルバムが生まれた背景を考える意味でも大変興味があります。

ホプキンス:僕は「Dreamachine」の存在を4年前くらいまで知らなかったんだ。「Dreamachine」プロジェクトの企画者から連絡をもらって、企画者が描いていたプロジェクト案の作曲を依頼された時に初めて知った。企画者の女性がイメージしていたのは大規模で集合的な「Dreamachine」のバージョンで、近代のテクノロジーを使ってストロボ効果を生み出すというものだった。企画者の名前はジェニファー・クルックと言うんだけど、彼女はティーンエイジャーの頃に古本屋で「Dreamachine」に関する本を見つけてから、「Dreamachine」に夢中になり、いつか「Dreamachine」の大規模なバージョンを作ってみたいと考えていたらしい。僕はその企画チームに2021年に参加して、プロジェクトのための音楽を2022年に作った。それが今回のアルバムの萌芽だったんだよ。(エクアドルにある)タヨス洞窟(Cueva de los Tayos)の仕事を依頼されたことが、前作の萌芽だったと同様に。だから、あるアイデアや別の仕事の依頼があって、そこから新しい音楽作品が生まれることは、よくあることなんだ。それと同時に自分の関心分野にも合致している。内なる世界を探求しているという意味でね。つまり、目を閉じた状態で、ビジョンが見えたり、物語を体験することができる状態を探求しているということなんだ。僕はそういう分野に非常に興味を持っている。そこから、アルバムは全く別の方向性に進んで行くんだけど、スタート地点はそういう場所からだった。

─そうした「Dreamachine」の体験は、今回のアルバムを作る上でどんな影響や意識の変化をあなた自身にもたらしたと言えますか。

ホプキンス:「Dreamachine」は人によって得られる効果が全く違ってね、それはそれで面白い。僕は、「Dreamachine」の光からは、あまり強い影響を受けなかったんだ。でも「Dreamachine」というプロジェクトには強い信頼を置いていた。人によってはとても強烈な体験ができるだろうと分かっていたからね。ただ、その体験が僕のアルバム作曲に影響を及ぼしたとは言えないね。



─あくまで「きっかけ」だったと。一方、あなたは今作について「自分の内なる世界への入り口を開くための、もしくは、隠されて埋もれたものを解放するための道具」と言葉を寄せています。実際のところ、今作の制作はどのようなプロセスだったのでしょう。

ホプキンス:制作のプロセスと、僕が制作の終盤に行った、曲を書くという行為には、実はあまり関連性がないというか、密接に関わっているわけではないんだ。プロセスとは、考えずに行う、直感的なものだから。直感を辿っていくというか、スレッド(糸=thread)を探っていく……そういう行為なんだ。自分にとって「合っているな、しっくりくるな」と感じるものをひたすら続けていく。そして最後まで来た時に、振り返って、「これは、こういうことだったのか」という内省的な分析を行う。面白い仕組みだと思うよ。だから僕は「機械のようにさえ感じられる」と書いた。いま、アルバムを聴くと僕にとっては機械のように感じられるから。特にアルバムの中盤では、自分が実際に何かしらの機械の中にいるような感じがするんだ。プロセスの最中には、音楽がなぜそういう方向に行く必要があるのかが分からないんだけど、振り返ってみると、それ以外の方向性はあり得なかったんだなと実感するんだ。面白い感覚だよ。

─前々作の『Singularity』では瞑想の体験が、前作の『Music for Psychedelic Therapy』ではアマゾン流域の巨大な洞窟で過ごした体験が作品のインスピレーションになっていました。そうした神秘的で超越的なるものへの関心、音楽を通じた形而上学的な探究は、今回のアルバムを貫いているテーマでもあると思いますが、たとえば今作を含めた3枚のアルバムを通じて、そうしたテーマへの関心や考え方があなたの中でどのような発展や変化を遂げてきたのか、とても興味があります。

ホプキンス:年を取るに連れて――少なくとも僕の場合は――純粋なものしか作りたくないという気持ちが強くなってくる。だからこのアルバムは、誰かに媚びたり、ある物事のために作られたものでは一切ない。僕はしばらくこの方向性で進んできたと思うけれど、今回が最もその姿勢が凝縮されて作られた成果だと思う。質問にある言葉通り、形而上学的な世界や、精神的な解放は、洞窟といった完璧な自然環境に身を置くことで実感することができるし、自分自身の意識に集中することでも達成できると僕は考えている。後者(自分自身の意識)も、ある意味、自然な環境だと言うことができるからね。世の中には、2〜3分でリスナーの興味をそそり、興奮させてくれる曲を作る素晴らしい人たちがたくさんいる。曲を2〜3分聴いて、気分が上がって、それでおしまい。それは現時点の僕の仕事ではないと思っている。今後、自分もそういうことをするかもしれないけれど、僕のいまの役割としては、この「脈絡(train)」に沿って、40分間のクレイジーな旅路を創り上げることだと思う。こういうことに興味のある、ほんの僅かな人たちのためにね(笑)。




─興味のあるリスナーはたくさんいると思いますよ! じゃあ、そうした「精神的な解放」や「自分自身の意識」へのフォーカスを、今回のアルバムの制作にあたって音楽的に具現化してく、サウンドをデザインしていく上ではどんなポイントに意識が置かれていたのでしょうか。

ホプキンス:先ほども話したように、音を作るのは直感的に行なっていることだから、アイデアやコンセプトがあるというわけではないんだ。コンセプトを考えて音を作るわけではないけれど、ご覧の通り(Zoom越しに背景の機材を見せて)僕のスタジオには色々な種類のシンセサイザーがあって、向こうにはピアノがある。それをとにかく弾くんだ。すると、大抵の場合、何かが生まれてくる。そして自分がそれを良いと思ったら、それを残して、他の要素を加えていく。本質的な作業はそれだけだよ。その作業を大規模にして、長時間やっているんだ。するとアルバムというものが出来上がる(笑)。でも、その途中で、音を分析したり、やり方を考えたりすることはないんだ。

─たとえば、今回のアルバムにおいて作曲(compose)とは、あなたにとってどのような作業だったのでしょうか。アルバムについて「作曲しているときは、自分が何をやっているのか分かっていない。どこへ向かっているのかも分からない」とコメントされていますが、実際のところどんな風にして作曲していたのでしょうか。

ホプキンス:作曲しているときはAbletonを使って、スレッドを追っているだけなんだ。サウンドを作り、先ほども話したように、そのサウンドが次のサウンドの方向性を示唆する。このスタジオで作られる全てのものは、「イエス」か「ノー」に分類される。僕は、音源をボツにして破棄するということは滅多にしない。音を加工して、さらに加工して、加工を続けて、最初の状態とは何の関連性も感じられないようなものにしていくということが好きなんだ。でも、感覚としては、ある種の建物を建てているような感じだよ。作曲するということが、いつからそういう感覚として感じられるようになったのかは分からないけれど、おそらくこのアルバムか前作だったと思う。それ以前、自分はまだなんらかの娯楽(entertainment)を作っている感覚だった。それも不思議な感覚だけどね。いまはそういう風に思っていない。僕の音楽を娯楽としても使えるだろうけど、おそらくうまく機能しないだろうな(笑)。

Translated by Emi Aoki

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