あなたが最初に買ったアルバムが『フューネラル』(2004年)だったのなら、評価基準はすでにかなり高いはず。死や深い悲しみを扱ったそのような作品の後、より高い成熟度を追求するにはどうしたらいいのか? アーケイド・ファイアにとってそれは何の問題もなかった。モントリオール出身のインディ・ロック・バンドは壮大さやドラマティックな賛歌を求めることに迷いはない。前作『ネオン・バイブル』(2007年)の「No Cars Go」は、ニール・ダイアモンドのクラシック「America」とよく似ていた。そして、この素晴らしい3枚目のアルバム『ザ・サバーブス』では、曲名にローマ数字やカッコ記号が多用され、彼らのかつてないほど高い意欲が伺える。彼らの辞書で「suburbs」は、「subtlety(繊細、巧妙)」の近くでは見つからないが、それゆえに激しいビートとともに、感情が力強く表現されているのだ。
“まだ自分が若いうちに娘が欲しい”。ウィン・バトラーは壮大なオープニング曲「ザ・サバーブス」でこう歌っている。“娘の手をとり/そして彼女に美しいものを見せたい/それらが完全に壊れてしまう前に”。激しいドラムと艶やかなキーボード。アーケイド・ファイアの興味深い点は、それらを用いて、内省的な告白をアリーナ・ロックのスケールにまで押し上げているところだ。彼らの良き師であるU2やブルース・スプリングスティーンとは異なり、詳細にはこだわらない。バトラーがヒューストンへ車を走らせることをテーマにした曲に、その特徴がよく出ている。「エンジンが故障する音が聞こえたとき……」(スプリングスティーンであれば、おそらくキャブレーターがどう故障したのか語るだろう。しかし、あえて説明しないところが、彼らの魅力だ)
 才能と熱狂について(「ロココ」)、名声を重荷と感じているインディ・バンドについて(「レディ・トゥ・スタート」)で、バトラーと彼の妻、レジーヌ・シャサーニュ、そして多くの仲間たちが歌う。バトラーは“ビジネスマンたちは、私の血液を飲んでいる/アートスクールに通う子供たちがそうだと言うように”と不満をぶちまけるものの、彼自身アートスクールの子供たちを信用しているわけではない。“彼らが70年代に作り上げた家は最終的にはすべて崩壊した/まったく無意味だった”。70年代ということで言えば、ジャーマン・ロックの雄、カンやノイ!などのレコードを今回はたくさん聴いたに違いない。テンポの速い「レディ・トゥ・スタート」や「マンス・オブ・メイ」はソリッドだし、「ディープ・ブルー」のようなバラードでは、デヴィッド・ボウイ『ハンキー・ドリー』のような繊細なピアノの華麗さを追求した。しかし最終的には、優しく、共感できるサウンドに落ち着くのだ。

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