「マイケル・スタイプが、今さら何を欲しがるのか?」と不思議がっている人たちのために、スタイプはR.E.M.の15枚目のアルバムで、彼のウィッシュ・リストを読み上げることにした。“ホイットマンよ、誇りを持て!”と、素晴らしいフィナーレの「ブルー」で彼は宣言する。“パティ・リーよ、誇りを持て”は旧友のパティ・スミスを意味しており、彼女はスタジオで、しわがれたノイズを作り出している。“兄弟よ、誇りを持て”はおそらくピーター・バックとマイク・ミルズを意味しており、彼らはカントリー風フィードバック・ギターのグルーヴで、寛いだ空気を作り出す。“姉妹よ誇りを持て! すべてが欲しい! 扇情的で、圧倒的でありたい! 今度は僕の番だ! 生きていることに興奮する!”彼はまさにそんな感じだ。
 スミスは、タイトルの『コラプス・イントゥ・ナウ』が、彼女の昨年の悲痛な回想録『ジャスト・キッズ』への回答になることをほのめかしている。みすぼらしく若いボヘミアンが掻き立てられるように作ったものではなく、何年も前に頂点に立ちながら、ともに年月を過ごすことを決めた、成熟したアーティストの肖像だ。それを除けば、あなたはそこからたくさんの歴史だけでなく、衝突や混乱、疑念という、R.E.M.が糧としてきたものを聴き取ることができるだろう。『ジャスト・キッズ』? それは安易なものだ。
『コラプス・イントゥ・ナウ』は、過小評価されている2001年の『リヴィール』以来、ここ10年のR.E.M.で、本当の意味で混沌とした作品だ。彼らの最近の作品は、ひとつの音楽性に焦点を当てていた。04年の『アラウンド・ザ・サン』はゆったりとした麻痺状態で、08年の『アクセラレイト』は棘のあるロックだった。けれども『コラプス・イントゥ・ナウ』では、あらゆるトリックに手を出している。パンクの喚きや荘厳なバラード、ピアノ、アコーディオン、そして「ルージング・マイ・レリジョン」以降、彼らが使い続けているマンドリンだ。
 ギターの神であるバックは、サイケデリックの唸り(「ミー、マーロン・ブランド、マーロン・ブランド・アンド・アイ」)と、パワー・コードの強打(「マイン・スメル・ライク・ハニー」)、そのどちらでも輝いている。マルチ楽器奏者のミルズは、いつだって必要不可欠だったその歌声を加え、「オール・ザ・ベスト」では、ヴァン・ヘイレンにおけるマイケル・アンソニーと同じくらい、彼のバックアップ・ヴォーカルがR.E.M.にとって重要なのだということを示している。エディ・ヴェダーは「イット・ハプンド・トゥデイ」にゲスト参加し、誰が呼んだのかは知らないが、ピーチズもレニー・ケイがギターを弾く「アリゲーター・アヴィエーター・オートパイロット・アンティマッター」で好演している。
 彼らは、その存在だけで愛されるような地点を、とっくの昔に通過してしまった。しかし『コラプス・イントゥ・ナウ』で、彼らは伝説よりもただのバンドになりたがっているように聴こえる。それこそが彼らの背中を押す理由であり、ホイットマンやパティ・スミスがどうかは知らないが、R.E.M.は誇りに思うべきだろう。

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