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ボン・ジョヴィがロックの殿堂入りを果たした理由

Maura Johnston | 2017/12/28 18:00

| 1985年4月、中野サンプラザで行われた来日公演の様子(Photo by Koh Hasebe/Shinko Music/Getty Images) |

ヘアメタルのヒットメーカーと揶揄されたボン・ジョヴィが、ロックの殿堂入りを果たした。批評家たちからの厳しい批判をものともせず、国民的バンドとなったボン・ジョヴィの軌跡とは?

ボン・ジョヴィのロックの殿堂入り決定のニュースに驚いた人は少なくないだろう。ニュージャージーで結成され、80年代のヘアメタル全盛期に一際ポップな存在としてMTVの常連となった彼らは、長年批評家たちの酷評にさらされてきた。特大ヒットを記録した1986年作『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』のローリングストーン誌によるレビューは「一体このポップ・ソングには幾つのクリシェが凝縮されているのだろう?」という問いかけで始まる。評論家のロバート・クリストガウは、2005年にバンドを「エアロスミスよりもエア・サプライに近い、人畜無害のハード・ロック」と揶揄している。

バンドの全盛期、ハード・ロックというジャンルそのものに消極的だった批評家たちにとって、テレビ向けのルックスとキャッチーなポップ・ロックで、キッズたちから絶大な支持を勝ち取っていたボン・ジョヴィは、とりわけ目を覆いたくなる存在だった。1987年にスーザン・オーリアンがローリングストーン誌に寄せた記事は、フロントマンのジョン・ボン・ジョヴィの14インチに及ぶ頭髪の賞賛(「今日のロックンロールの世界において、ジョン・ボン・ジョヴィがもっともセクシーな髪の持ち主であることは疑いない」)から始まり、『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』の曲群を一過性のフォーカスグループに例えている。

ボン・ジョヴィは徹底して結果にこだわってきた。大ぶりなアリーナ・ロック、きらびやかなリフ、気分を高揚させるグッドヴァイブ、そして必殺技のお涙頂戴バラードを武器に、バンドは80年代と90年代に無数のヒットを飛ばした。レーガノミクスによるタフな時代に互いを必要とするカップルを描いた、トークボックスのサウンドが印象的なスプリングスティーン調の『「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」。(リッチー・サンボラによる「ウォーネ〜ッド!」という)一度聴いたら絶対に忘れないバッキングコーラスを擁する、ツアー生活を西部開拓時代に例えた「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」。バンドとギタリストのリッチー・サンボラに加えて、秘密兵器のデスモンド・チャイルドがソングライターとしてクレジットされている、ライバルの仰々しいデフ・レパードの十八番を奪うようなシンセ・メタル「ボーン・トゥ・ビー・マイ・ベイビー」。2017年に殿堂入りを果たしたジャーニーの定番バラードを増幅させたような、ノスタルジックな「ネヴァー・セイ・グッドバイ」や、愛にすがりつく「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」。近年では弦楽器を多用する(2006年にジェニファー・ネトルズとコラボレートした「フー・セッズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」等)など、メロディックなアリーナロックと抜群の相性を誇るカントリー・ミュージックへの接近を見せている。
Translated by Masaaki Yoshida

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