愛憎渦巻くスマッシング・パンプキンズの20年

1996年、写真左からダーシー、ジェイムス・イハ、ビリー・コーガン(Photo by Tim Roney/Getty Images)

ダーシー・レッキー抜きで、ビリー・コーガンとその仲間たちが「スマッシング・パンプキンズ」の再結成ツアーが目前に迫り、もうすぐツアーを開始する。ここで彼らの解散、再結成、和解の歴史を紐解いてみよう。

20年近く世間に話題を振りまくバンド愛憎劇を続けているスマッシング・パンプキンズ。もうすぐオリジナル・ラインアップ(実質一人抜けているのだが)で再結成を果たして、夏のツアーを行うことになっている。ビリー・コーガン、ギタリストのジェイムス・イハ、ドラマーのジミー・チェンバリンはステージに立つ予定だが、1988年から1999年までバンドに在籍したオリジナル・ベーシストのダーシー・レッキーの姿はない。

「30数年前、ザ・スマッシング・パンプキンズとして、俺の実家の狭っ苦しい寝室で、ジェイムス・イハと俺は音楽の旅を始めた」とコーガンが再結成の声明で述べた。「ここで再び最高のドラマー、ジミー・チェンバレンを中心に全員が再び集結できること、みんなで一緒に作った曲を演奏して祝えることは魔法のようだ」と。しかし、再結成の発表にレッキーの名前は見当たらなかった。また、90年代後半に彼らが最初に分裂した時以来、それぞれのメンバーが抱えてきた痛みを伴う人生にも一切触れられなかった。

彼らの再結成ツアーが目前に迫る中、ローリングストーン誌はスマッシング・パンプキンズの栄枯盛衰を網羅する完全バンド史を作ってみた。彼らの悲しみの歴史がここで明らかとなる。

1996年7月17日
パンプキンズのキーボーディストのジョナサン・メルヴォインが薬物の過剰摂取で死亡した数日後にドラマーのジミー・チェンバレンがバンドをクビになる。メルヴォインはニューヨークでチェンバレンと共にヘロインを注射したと言われ、これがきっかけでチェンバレンに違法薬物所持の容疑がかかる。残りのメンバーは次のような共同声明を発表した。「本人が気付かぬうちに患っていた薬物中毒とアルコール中毒と格闘していたジミーと、俺たちも闘っていた。そして俺たち自身や俺たちの忍耐力をすべてぶち壊すに等しい結果となった。彼抜きで続けていく決断をし、自分たちが出来る最大限の祈りで彼の幸運を祈っている」 その後3年間チェンバレンの後釜を務めたドラマーは、フィルターのマット・ウォーカー、サウンドガーデンとパール・ジャムのマット・キャメロン、ベックのジョーイ・ワロンカー、ジョン・メレンキャンプのケニー・アロノフだった。

1999年4月15日
チェンバレンがバンドに復帰。かつてコーガン自身が「かなりの大金を積まれないと実現しない」と言っていたことが実現した。

1999年8月5日
ローリングストーン誌が「パンプキンズにチェンバレンが復帰し、シカゴで新作をレコーディング中」と報じる。

1999年9月頃
ダーシー・レッキーが『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』のセッション中にバンドを脱退すると報じられ、ビリー・コーガンの何でもかんでもコントロールしたい性格が原因という噂が広まる。当時、このアルバムへのレッキーの貢献度は「よくてもごく僅か」と言われた。ローリングストーン誌10月28日号でレッキーの脱退は確実で、パンプキンズはホールのベーシスト、メリッサ・オフ・ダ・マーを迎えて活動を続けると報じられた。

2000年2月29日
スマッシング・パンプキンズが6枚目のアルバム『マシーナ/ザ・マシーンズ・オブ・ゴッド』をリリース。

2000年5月24日
ビリー・コーガンが、あと一度ツアーを行った後にパンプキンズを解散する計画を発表。これに関して「このアルバムの制作を開始する以前に、感情面でも、魂の部分でも、音楽的にも、俺たちの旅路はもう終焉を迎えた」とコーガンが説明した。

2000年9月5日
スマッシング・パンプキンズが7枚目のアルバム『マシーナII/ザ・フレンズ&エネミーズ・オブ・モダン・ミュージック』を発表。最初の解散前の最後のアルバムとなる。



Translated by Miki Nakayama

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