2002年の傑作『シー・チェンジ』で、ベックは、トレードマークの皮肉やブレイクビーツ、ジャンプカットは止めた。故郷LAで受け継がれてきたカントリー・テイストの作品を作りたかったのだ。以来、『シー・チェンジ』の評価は高まる一方だが、彼は、フリンジのついたスエード・ジャケットはクローゼットの奥に片づけてしまった。しかし、本作『モーニング・フェイズ』で、やっとそのジャケットを引っ張り出し、『シー・チェンジ』と同じ仲間とテーマを掲げ、フォーク・ロック・テイストの名盤を完成させた。

アルバムの方向性を示すオープン曲は、「サイクル」と「モーニング」。ベックの父、デヴィッド・キャンベルが指揮を務める「サイクル」は、夜明けを表すストリングの序曲で、アルバムのテーマを方向づける。「モーニング」は、『ヴェルヴェット・アンダーグラウンド・アンド・ニコ』のオープン曲「日曜の朝」を想起させる、上質な早朝の歌だ。澄んだアコースティック・ギターとパーカッションを中心に、ベックのヴォーカル・レイヤーとスタンリー・クラークのアコースティック・ベースが、残響とシンセサイザーのさざめきによって、ゴージャスな水彩画のような余韻を残している。ここで生きてくるのが、近頃のベックの多様な取り組みだ。楽譜シートの本「Song Reader」での効率的な形式主義や、2008年『モダン・ギルト』のサイケ・サウンド、レコード・クラブでのカヴァー・プロジェクト用レコード探し、フィリップ・グラスとのコラボ作品『Rework』での実験的オーケストラなどが挙げられる。

本作のテーマは、生きるのが辛くなった時の対処方法だ。皮肉はもう通用しない。真実と美、そして決意こそ最高の武器なのだ。 “今朝、見上げると/トゲだらけのバラだった/山が落ちて来る”。「モーニング」で、ベックは消えそうなファルセットで囁き、“最初から、やり直せるのか?”と尋ねる。過去の恋愛関係のことを言っているのかもしれないし、壊れた生態系のことかもしれない。

「ハート・イズ・ア・ドラム」では、ニック・ドレイクの「ブライター・レイター」のように、居心地の良い暖かさを表現している。彼は尋ねる。“なぜこんなふうに苦しい? これほど探し求めたのに門は閉ざされていた”。何年も患っていた、ギターが持てないほどひどい脊椎損傷からカムバックし、『モーニング・フェイズ』で光を求めもがく姿は、普遍的なこととも個人的なこととも受け取れる。

また、作品にちりばめられたオマージュにもニヤリとさせられる。たとえば、ロジャーズ/ハートやアレックス・チルトンと同名曲の「ブルー・ムーン」。この曲はブライアン・イーノのテイストを加えたボブ・シーガーの「メインストリート」を思わせる。「サイクル」のストリングスは「ウェーヴ」で再び現れる。心地良い声とオーケストラの瞑想は、ビョークのカヴァー曲のようだ。「カントリー・ダウン」は全盛期のニール・ヤングを彷彿とさせる。ベックは救命艇に乗った男のことを歌い、グレッグ・リーズはペダルスティール・ギターで、空を横切る飛行機雲を描いている。

アルバムのラストは「ウェイキング・ライト」。だが、主張したい一節は数曲前の「ドント・レット・イット・ゴー」にある。ベックは言う。“苦境の中にこそ、物語がある/終わり方は僕らにはわからない”。この曲は、ボブ・ディランの「アイル・キープ・イット・ウィズ・マイン」や、ストーンズの「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」のクロスファイアー・ハリケーン誕生に共感しつつ、音楽による物語が、辛い時を乗り越える力を与えてくれることを示している。それこそが、『モーニング・フェイズ』の狙いなのだ。

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