3年前、ラナ・デル・レイは完全に完成された秘密のスパイのように、この世に登場した。彼女はそれまでになかったようなフレイヴァーをポップ・ミュージックにもたらし(“カルバン・クラインのエタニティのコマーシャル”のようなスロウでトーチソング的な楽曲)、レディー・ガガのような狡猾なビデオ・スターとして自身を作り上げ、そのきわどくミステリアスなビデオが彼女のブランドの中核となった。特価品として売られるリップスティックのごとく過去の音楽を引用する彼女は、おバカさん、または知識豊富なアーティストと呼ばれ、誰も彼女がどちらの立場なのか証明することができずにきたことで(また、ロードやマイリー・サイラスといったスターに多大な影響を与えてきたことで)、彼女は現代の最も人を惹きつけるパフォーマーのひとりとなっている。

デル・レイのメジャー・レーベル第1弾作品、2012年の『ボーン・トゥ・ダイ』は、ペギー・リーの薄く透き通ったロマンティシズムをマジー・スターふうに真似た誘惑の歌が詰まった、気だるいアルバムだった。それから2年が経ち、デル・レイは相変わらずの悲しい娘のままでいる。『ウルトラヴァイオンレンス』は絶望的なロマンスと耽溺、そして破壊されたアメリカン・ドリームをもの悲しく這っていく。彼女はヒップホップの影響を抑制し、新しい銃を手にしている。ブラック・キーズのダン・オーバックが起用され、彼のナッシュヴィルのスタジオでほとんどがプロデュースされている。オーバックは格好いいブルースとサイケデリックなギターを取り入れてはいるが、アルバムに収録されたジェシー・メイ・ロビンソンの1950年代のヒット曲「ジ・アザー・ウーマン」以外のすべての楽曲で共作しているデル・レイは、相変わらず唇を突き出し、映画のような美学にしがみついている。それは、1000枚の自分で撮影したドラマティックなセルフィー(自分の写真)のかすみを通して反映された、エンニオ・モリコーネのような壮大な感傷主義だ。

デル・レイのミューズであるクリス・アイザックは1989年に「ウィキッド・ゲーム」を我々に提供し、ラナはその返答として「クルーエル・ワールド」を作っている。リヴァーブまみれになったリフが、愛と狂気についての歌詞の背後でうごめいている。オーバックによる情熱的なギター・ソロと膨張したストリングス、デル・レイのオペラのようなソプラノをフィーチャーしたワルツ「シェイズ・オブ・クール」は、クエンティン・タランティーノが監督するジェームズ・ボンドの映画の主題歌に完璧だ。人目を忍ぶことを歌った今作での際立った一曲「サッド・ガール」は、本質的に彼女のテーマ・ソングとなっている。“私は悪い娘/私は悲しい娘”と告白する彼女の声は、子供のようなささやきから静かな恍惚へと滑っていく。『ボーン・トゥ・ダイ』同様、『ウルトラヴァイオレンス』のほとんどは、繰り返し同じ音響ではある。しかし、デル・レイは自分を旅立たせ、シングル「ウエスト・コースト」でのディープなグルーヴで、女性歌手からフロントウーマンへと輝く瞬間を見せている。

アルバムは欲望、暴力、悲しみをきつく梱包し、デル・レイはそれをどう解けばいいのか常に確信を持っているわけではない。オーバックのよどみないワウペダルが鳴るなかでザ・クリスタルズの物議を醸し出す曲「He Hit Me (And It Felt Like a Kiss)」を引用するタイトル・トラックは、虐待的な恋愛関係にしがみつくことを歌う。「オールド・マネー」では、“あなたが私を必要とするのなら/私はいつでもあなたのもとへ走っていく”と彼女は誓う。デル・レイはフェミニズムを“面白い概念ではない”と宣言しているが、「ファックド・マイ・ウェイ・アップ・トゥ・ザ・トップ」ではセクシュアルなパワーをもてあそぶ。

デル・レイの恋人のほとんどは愛しても見返りのない存在で、彼女の戦いに勝利はない。そのために、宗教と引き換えに「マネー・パワー・グローリー」(賛美歌のようなハイライトとなる曲)を手に入れる機会を得ると、それをしっかりと掴んで逃がすことはない。デル・レイのアメリカン・ドリームはこれ以上ないほどに正直なものだ。

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