トニー・ヴィスコンティと共に、2人がベルリンで生み出した「誰も耳にしたことのない音楽言語」とは?
デヴィッド・ボウイはキャリアを通して劇的な変化を遂げ続けたが、中でもとりわけ野心的な『ロウ』はロックの歴史を塗り替えるほどの影響を残した。ベルリン3部作の1作目にあたる同作は、ボウイならではの美学に満ちたパーソナルなアルバムだ。コカイン漬けだったロサンゼルスでの不毛な日々、そしてメガ・セレブレティとしての重圧から逃れようとベルリンに移り住み、新たな方向性を模索していたボウイが目をつけたのは、今日のテクノの雛形となった『kosmische musik』、またの名をクラウトロックという音楽だった。クリエイティヴ面と政治面の両方において東西に分断されたベルリンという街を、ボウイは「今後数年間でヨーロッパが経験する状況の縮図」と評している。彼は同作のコンセプトについて「実験を重ね、作曲の新たなフォームを確立し、誰も耳にしたことのない音楽言語を生み出すこと」としている。やがてそれは現実のものとなった。
『ロウ』が誇る革新性は、過去数年にわたってボウイが重ね続けた実験の成果だった。前作にあたる『ステーション・トゥ・ステーション』で、彼はマルチトラックを駆使したよりモジュール的なソングプロダクションを追求している。また親しい友人でもあったイギー・ポップとの初の共作『ザ・イディオット』の制作も、彼に新たな視点とアイディアをもたらした。
そういった断片的な要素を昇華させる決定的な出来事、それはブライアン・イーノとの出会いだった。同じくセレブレティという立場を窮屈に感じていたイーノは、ロキシー・ミュージックのグラマラスなキーボーディスト兼バンドのブレインという役割を放棄し、スタジオでの作業を中心とする道を選ぶ。1975年発表のソロ作『アナザー・グリーン・ワールド』は、斬新なサウンドでインストゥルメンタル曲とヴォーカル曲を違和感なく共存させた革新的な作品だった。ボウイは同作に心酔していたという。