HIROSHI(FIVE NEW OLD)が語るゲームライフ「孤独を愛そうっていう気持ちはゲームから教えられた」

ーそんなHIROSHI少年にとって、ゲームはどういう自分を出せるものだったんですか。

HIROSHI:本当は家の中で出したい「子どもらしい自分」を、コントローラーを使って表現できる場所というか。ただクリアするだけじゃなくて、ひとつの穴をジャンプするにしても自分だけの設定が生まれてくるんですよ。ゲーム上では穴に落ちたらそこでゲームオーバーだけど、じゃあ何故穴に落ちたらロックマンは死んでしまうんだ? みたいなことを自分の中だけで考えるんですね(笑)。穴の下には下の世界があって、実は下の世界のほうが強い敵がいて、だから落ちるとゲームオーバーになっちゃうんだ、とかーー逐一自分だけの設定と物語を作ることで、キャラクターにより一層自分を投影できるようにしてたんですよね。それが、自分が出せていない自分を出す方法でした。だって、家族で旅行に行く時もスーパーファミコンをリュックに入れていってましたからね。

ーはははははは。キャプテン翼にとってのサッカーボール感覚だ(笑)。

HIROSHI:ほんとですよ(笑)。ずっと子どもらしいコミュニケーションには飢えてたと思いますね。それを補完してくれるのがゲームだった気がします。それが小学生くらいの頃で。NINTENDO64(任天堂が96年に発売したゲーム機。スーパーファミコンの後継機種)ではもちろん『大乱闘スマッシュブラザーズ』もやってたけど、それも、みんなでやるんじゃなくひとりで「トレーニングモード」をやり続けてる子だったので(笑)。母や祖母が音楽好きで、音楽が家庭の中でかかっている環境ではあったんですけど、それはもはや環境音と一緒の感覚になってたんです。だけどゲームなら自分だけの感覚で世界観に浸れたから、ゲームには安心感があったんですよ。

ー小学生の時に初めて買ってもらった『ロックマン』から小中学生の時期、特に印象に残っているソフトはありますか。

HIROSHI:その頃で言うと、プレイステーションの『ブレイヴフェンサー 武蔵伝』(1998年にスクウェアから発売されたアクションRPG)っていうソフトですね。それだけは、僕がプレイしているのを横で叔母が楽しそうに見てくれていたんです。家族でゲームを楽しむことができたのは『武蔵伝』が初めてで、謎解きを一緒に考えてくれたりして。ひとりだけでやるものだったゲームが家族とも楽しめたのは個人的に大きな出来事だったんです。それで8歳くらいから、『ファイナルファンタジー』を作っている「スクウェア」のソフトのほうにハマり始めて、『エアガイツ』っていう格闘ゲームも大好きでした。隠しキャラで『ファイナルファンタジー7』のセフィロスとかクラウドが出てきたりして、それがうれしかったんですよ。当時って、『ファイナルファンタジー7』でもキャラクターが3頭身くらいにデフォルメされてたじゃないですか。でも『エアガイツ』ではキャラクターがちゃんと8頭身くらいで出てきて、リアルなキャラクターで剣を振れたんですよね。でも格闘ゲームだからひとりだけでやるのも限界があって、そこで一緒に『エアガイツ』をやってくれたのが、うちのギターのWATARUなんです。








ー小学校の同級生だったんですね。

HIROSHI:そうなんですよ。そこからほとんど毎日遊ぶ仲になっていって。そう思うと、スクウェアのソフトを多くやるようになってから、ひとりだけで遊ぶものだったゲームが人とのコミュニケーションのツールになり始めていったと思いますね。それこそ『スマッシュブラザーズ』でみんなとワイワイやるようになっていって。それが小学生の時にゲームと出会ってからの自分の変化だったと思います。

ーそうしてゲームで人とワイワイできることを知ってからも、内では恥ずかしがり屋で外ではおちゃらける二面性は変わらなかったんですか。

HIROSHI:ああ、そこは変わらなかったですね。未だにそういう部分はあって。で、自分が惹かれるものも多面的なものだったり、矛盾を孕んでるものだったり、逆説的なものだったり、対比されているものが好きなのは今もそうなんですよ。

ーたとえば主人公VS魔王、善と悪、みたいな構図のことじゃなくて、もっと人間のこんがらがった内面が描かれているものがゲームでも好きだったっていうことですか。

HIROSHI:そうだと思います。もちろん、小学生くらいの時は「善と悪」みたいな対立構造が一番わかりやすかったりすると思うんですよ。でも、たとえば『ファイナルファンタジー7』だったら敵役のはずの神羅カンパニーのキャラクターが悩むシーンも描かれてるじゃないですか。結局のところ、人間を描こうとすると善悪なんてモヤっとしてくるんだということをあの頃に教えられていた気がしますね。そういう意味で言うと、小学生の頃でもうひとつ忘れられないのは『メタルギアソリッド』ですね。テロリストの巣窟に入って見つからないように進んでボスを倒していくゲームなんですけど、物語が進めば進むほど、こちら側だけではなく相手側にも主義主張があるんだってことがだんだんわかってくるんですよね。人なんてそうそう割り切れるものじゃないんだなっていう感覚は、ゲームをする中で持つようになっていったかもしれないですね。





ーそれは、今歌われている内容ともリンクする話ですよね。具体的に伺うと、今にも繋がる人生観や教訓を与えてくれたキャラクター、セリフ、物語はどういうものなんですか。

HIROSHI:『メタルギアソリッド』のエンディングのほうで、スネークが「人とは、情報の伝達者だ」という旨のことを言うんですよ。遺伝子という情報を次の世代に受け継いでいくだけじゃなく、遺伝子にも残せない情報も伝えていくんだと。その言葉を見た時に、人ってどんな仕事をしていてどう生きていても、生物として大事なのは後世に何かを残していくことなんだなって思わされて。こうして思い出して話している今の年齢だと、より深く刺さるなあと思うし。

ーゲームって、ファンタジーだっていう前提があるからこそ、セリフの数々が綺麗事にならず刺さったり、本当にそうだよなって思わせる力があったりしますよね。『ファイナルファンタジー9』の主人公・ジタンのセリフで「人を助けるのに理由がいるかい?」とか。

HIROSHI:あー! いいですよねえ、『FF9』! 今まさにスマホでやり直してるんですよ!(笑)。「みんな、自分で選んでここにいるんだ」っていう言葉も今改めてグッとくるし。いいRPGですよね……。どんどん出てきますね! で、今矢島さんが言ったことって自分も考えてることではあるんです。どうしても大人になればなるほどシナリオの展開やパターンも読めるようになってくるじゃないですか。だからこそ大事なのは、グラフィックやCGの進歩よりも、シナリオや伝えたいことに筋が通っていたり、物語がどれだけ練られているかっていうことだったりするんですよね。たとえばPS4みたいな最新機器を持っている人でも改めてインディーゲームに回帰していくのは、物語さえちゃんと練られていれば、キャラクターがデフォルメされているか、あるいはキャラクターがどれだけリアルかは関係ないっていうことの証明だと思うんです。それは音楽で言ってもそうだと思っていて、2010年代は技術的に進歩した時期で。でも、それがある程度落ち着いて過渡期を迎えた時に求められるのは、シンプルに「音楽としていいかどうか」っていう部分だと思うんですよね。技術によって道は拓けるけど、そこから還ってくるのはいつも同じところなんだなって。





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