『私は「うつ依存症」の女』著者、エリザベス・ワーツェル氏の一生

賛否両論の『私は「うつ依存症」の女』

1986年、ワーツェル氏はルー・リードについて書いた記事でローリングストーン主催大学生ジャーナリズム賞を受賞する。サミュエルズ氏曰く、本人はこの賞のお陰でジャーナリストとしての道が開けたと周りに語っていたという。フリード氏によれば、賞状は今も2人のアパートに飾ってあるそうだ。

大学時代、ワーツェル氏はダラス・モーニングニュース紙でインターンとして働いたが、剽窃の疑いで1988年に解雇された。その後はニューヨーク・マガジン誌やザ・ニューヨーカー誌にポップミュージックの論評を寄稿し、1994年に『私は「うつ依存症」の女』が出版されると、彼女は出版界の神童と大称賛され、2001年にクリスティーナ・リッチ主演で長編映画化された。

出版から数年後、『私は「うつ依存症」の女』は精神疾患や抗うつ剤の話題を一般化させたという点で評価された(「まだフルオキセチンって呼ばれてた頃からプロザックを服用していた」と、後にワーツェル氏は書いている)。だが当時、批評家の大半は本の中で赤裸々に書かれたワーツェル氏のセックスライフや自傷行為の過去、薬物乱用のことばかり取り上げた。ニューヨーク・タイムズ紙のミチコ・カクタニ氏のように、ワーツェル氏を「自分だけが可哀想だと思っている」だとか、あけすけすぎると非難する者もいた。そうした批判は彼女を生涯悩ませ続けた(ただしカクタニ氏はワーツェル氏の才能には一目置いており、彼女の「率直さ、ユーモア、そして弾けんばかりのまばゆい文章を書く能力」を絶賛している)。

2作目の『Bitch: In Praise of Difficult Women(原題)』(1999年)は、様々な事情を抱えた女性たちが歴史に与えた影響を再考察するエッセイ集で、著者本人がトップレスでカメラに中指を立てる表紙の写真が物議を醸した。だが本の真の目的は、エイミー・フィッシャーやニコール・ブラウン・シンプソンなど、1990年代に悪女扱いされたポップアイコンを擁護するもので、その後ポップカルチャーがモニカ・ルインスキーやトーニャ・ハーディングといった女性たちの名誉回復を手助けする下地を作った。『Bitch』の後、彼女は再び薬物依存の回顧録『More, Now, Again』(2002年)を出版した。

ワーツェル氏は2004年にイエール大学ロースクールに入学する。ワーツェル氏と同時期にロースクールに通っていたジャーナリストのローナン・ファロー氏は火曜日、Twitterにこう投稿した。「彼女は親切で、寛大で、孤独に陥りそうな心の隙間を思いやりやユーモア、独特な声の調子で埋めてくれました。彼女は大勢の人々に、たくさんの贈り物をくれた。彼女がいなくて寂しいです」

Translated by Akiko Kato

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