グライムス『Miss Anthropocene』を考察「コンセプトの隙間に潜む奇妙なリアリティ」

神の仮面の向こう側

これほどキャッチーなコンセプトとキャラクター設定を持っている一方で、本作は「地球が・人類が迎える危機」のよくできた寓話……には必ずしもなっていない。どうも、ひとつのコンセプトに基づいて手に汗握るストーリーが展開したり、あるいは隠喩が隅々まで張り巡らされていたりする作品ではなさそうだ。

英ガーディアンに寄せたレビューでアレクシス・ペトリディスは「『Miss Anthropocene』は発売前の宣伝が示唆するよりももっと個人的なものに思える」とはっきり言い切ってしまっている。全体の論旨にはあまり同意しないにせよ、この点については的を射ているし、他媒体のレビューも異口同音と言って差し支えなかろう。たとえば、本作のプロモーションの一環として巨大なビルボード広告に用いられている、「気候変動は良い(Climate change is good.)」というスローガン。いかにも挑発的だが、作品の内容とは乖離がある(それに、具体的なアクションとしても、このアイロニーはたいしてうまく機能していないように思う)。

安直にこの作品をゴシップ趣味で受け取ることを慎んでおくとしても、グライムスのプライヴェートな経験が色濃く反映されていることはたしかだ。少なくとも、グライムスが直面する「いま」の困難や愉楽に率直に反応している。歌詞に目を向けてみるとその点は如実だ。たとえばリル・ピープがオーヴァードーズで亡くなったその日の夜に書かれたという「Delete Forever」は、スリルを求めて生き急いだり、ドラッグに手を染めたりする若者たちへの苦いシンパシーに満ちている。あるいは「My Name Is Dark (Art Mix)」の2ndヴァースには、ロサンゼルスに住まういまからノスタルジックに回想するモントリオールでの生活や、スマッシング・パンプキンズへの直接的な言及も含まれる(Geniusの人気企画Verifiedでのセルフライナーノーツ的コメントを参照)。



このように読み解いていくと、ダークで、フューチャリスティックで、寓話的で……というような印象をはぐらかすかのような要素が、特にグライムス自身のパーソナルヒストリーと密接に結びつきながら散りばめられていることがわかる。

特にそこでノスタルジーが果たしている役割は興味深い。自身の記憶のみならず、固有名詞の引用や、そしてサウンド面での多様なジャンルの参照。そして、モラトリアム的な焦燥を追憶するかのような視点が時折顔を見せるのだ。差し迫った近未来の脅威やいま・ここの苦しみに対して供される苦く甘いノスタルジー。個人的には、まさにノスタルジーを正面から(というかちょっと無邪気に)扱ったムラ・マサの『R.Y.C.』なんかをここに並べて比較したくなる。



コンセプトの隙間に潜む奇妙なリアリティ

仮にコンセプトとそのリアライゼーションの関係性を吟味するならば、本作はいささか混乱しているように思える。それでもなお本作が魅力的であるのは、表面上掲げられたコンセプト以上に、それぞれの楽曲が聴かせるグライムスのアーティストとしての洗練に由来する。

本作は、ピンときやすいいくつかのキーワードたち(それこそ「気候変動」がその最大の例だ)を避け、私的な経験と神話的/寓話的な世界がまだらに混じり合う作品の内部へと入り込んでこそ、むしろそのポテンシャルを感じ取れるアルバムであると思う。大義と私が混濁したそのありようが醸す奇妙なリアリティは、律儀に寓話を読み解くよりもずっと、混乱する世界におかれた自らにとって思考の種になる。




グライムス
『Miss Anthropocene』
発売中
https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=10676

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