サマンサ不在の『SATC』リブート版を、真の続編と呼べない理由

批評家は、人種とセクシュアリティをめぐるSATCの無数の欠点(サマンサが“レズビアンになった”エピソードを覚えているだろうか?)だけでなく、適度なアメコミふうのギャグにも注目してきた。オオカミのように恐ろしくなりかねないキャラクターに温もりと快活さをもたらしたキャトラルの名演(シリーズ撮影中に彼女が経験した惨めな出来事を考えるとなおさら胸を打つ。というのも、とりわけパーカーによるひどい仕打ちに苦しんでいたとキャトラルは主張しているのだ。それに対して公の場でパーカーが腹立たしいほど終始優しく寛大に振る舞った結果、キャトラルのほうが小さな人間として世間から見られるようになってしまった。これを理由に、筆者はキャトラルの言葉が真実であると思っている)。2004年にエミー賞に輝いたシンシア・ニクソンの抑えた演技こそが本物の“アクティング”だと多くの人は言うが、あるシーンで「息があってひざまずける限りは、好きな人にシテあげるわ!」とキャリーに堂々と宣言するサマンサほど可笑しく、観る人を楽しい気分にしてくれるものは存在しない。

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リブート版SATCがサマンサの不在をどのように処理するかについては、さまざまな議論がなされてきた。キャトラル本人は、たとえば有色人種の女性やジェンダーにこだわらない役者によって4人のキャラクターが新たにキャスティングされるのを見てみたいと話している。これは特権だらけの白人女性というキャラクターをきれいに覆い隠すようだとは言わないまでも、立派な目標だ。その一方、パーカーは反対するファンに対して取り澄ました口調で「サマンサは今回の物語には登場しないわ。でも私たちがどこで何をしていても、彼女は永遠に私たちの仲間よ」と応じている。これに対して筆者は、ファイナルシーズンであれほど見事に闘った乳がんに敗れてしまうという“サマンサ死亡シナリオ”を脚本家が用意しているのでは? と考えずにはいられない。これはサマンサというキャラクターとキャトラルに対する裏切り行為である。SATCの4人は女性の幻想であり、幻想とはそもそも不滅なのだ。それはとりわけ、キャトラル扮するサマンサのように生き生きとしたキャラクターに当てはまる。20年近く演じてきたキャラクターを気軽に亡き者にするという行為は、演者に平手打ちを食らわせるようなものだ(キャトラル本人も多くの犠牲を払いながら演じてきたと語っている)。しかしそれ以上にサマンサ不在のSATCは、ドラマが築き上げた世界とそこに生きる女性たちを20年愛し続けてきたファンへの侮辱である。SATCファンは、本物と呼ぶにふさわしい完全版SATC以下のものでは満足しないだろう。


Translated by Shoko Natori

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