ベルウッド・レコード設立者と共に、70年代初期の高田渡を振り返る

ごあいさつ / 高田渡

田家:アルバム『ごあいさつ』の一曲目「ごあいさつ」。作詞が谷川俊太郎さんですね。この曲で思い出されることはありますか?

三浦:小室さんも谷川さんが好きで谷川さんの曲をいい感じで歌ってたんですけど、渡さんも負けないくらい凄くて。渡さんのアルバムをやろうと決めた時に、僕と渡さんと小室さんで当時5万円くらいのバンを運転してもらって日比谷公園に行って、バンの中で渡さんにアルバムの曲を歌ってもらったんです。僕と小室さんがそれを聴いて。要するにベルウッドを作る前から、小室さんと岩井宏さんが僕のスタジオワークの師匠だったんです。岩井さんは渡さんのことをすでに知ってましたから小室さんに聴いてもらって。小室さんも「渡はすごいねえ」と、ずっと言っていて。

田家:冒頭で高田渡さんがこんなことを書いていますよ、と紹介した、1970年のフォークジャンボリーの楽屋で名刺を渡した時のことを改めて教えていただけますか?

三浦:フォークジャンボリーがあるっていうのは、僕の後輩の牧村憲一というプロデューサーが教えてくれて。どういう人が出るのって訊いたら、はっぴいえんどとか僕の大好きなURCレコードのアーティストが全部出るので。それ全部録音しようかなって言ったら、「それURCの仕事ですよ」って言われたんだけど、どうしても自分が録りたくて(笑)。それでURCにお願いして、僕の録ったテープはURCでどう使ってもいいからということで強引に録らせてもらって。岡林信康さんのバックをやっているはっぴいえんどと高田渡さんがとても印象的で、URCに高田渡とはっぴいえんどをやりたいって言ったら、「はっぴいえんどはこの前レコード出したばっかりだ」って言われて。何も知らなかったんですよ(笑)。高田渡はフリーだから大丈夫ということだったんで、高田さんのところに行ってレコードを出させてくださいって言ったんですね。

田家:会社に黙ってキングレコードの録音車を持ち出して収録したという伝説もありますね(笑)。

三浦:いい上司だったんですよ(笑)。当時第2回フォークジャンボリーに8千人くらい集まったんですけど、ああいう大規模なイベントってなかったですからね。その前の年にウッド・ストックがあったじゃないですか。日本でもそういうのやってたんだっていうことに興味があるのと、出たアーティストに興味があって記録としてどうしても残したい、残さないと将来悔いるなと思って。それで記録として録りにいったんです。

田家:そこで高田渡さんに惹かれたと。渡さんはそれまでのURCを離れて、まさにフリーの時期だったんですね。このアルバム『ごあいさつ』には色々なミュージシャンが参加しているんですが、そのミュージシャンについては?

三浦:渡さんと相談しながらです。『ごあいさつ』は、早川義夫さんが選曲から構成まで全部考えてたんですよ。僕は当然早川さんがスタジオに来ると思ってたんですけど、来たのが岩井さんだったんですね。なんで早川さんは来ないのかなと思いながら、最後まで来なかったんですよ。未だに理由はわからないです。これは僕の憶測なんですが、早川さんは高田さんは言葉が大切だから、言葉明快に伝わるにはギター一本がいいって言っていたので、はっぴいえんどが参加することを気に入らなかったのかなって。詳しくは分からないですけどね。

田家:それでこういう人たちが集まって出来た曲ということで、続いて三浦さんが選ばれたのはこの曲です。「銭がなけりゃ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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