ブラック・ミディが濃密に語るカンとダモ鈴木、キング・クリムゾン、カオスな音楽世界

ポップとクレイジーの両立

―それでは今回のアルバムの制作背景について質問させてください。『Cavalcade』は、ジャムセッション主体だった前作『Schlagenheim』とは異なり、リモートでアイデアを出し合う緻密な作曲を主体とする方式で制作されたと伺いました。そのような手法を選んだ理由を教えていただけますか。また、そうした新たな手法を選んだことによる利点や苦労したことなどはありますか。

モーガン:『Schlagenheim』の楽曲はメンバー4人で作曲されたものがほとんどだった。みんなが同じ空間にいて、曲のパーツごとにどうするかについて話し合っていた。それはそれで良かったんだけど、そのやり方には課題がたくさんあったのさ。特に2019年はツアーをたくさんやっていたからだと思う。他のメンバーはどうか分からないけど、俺はツアー生活と、ツアーから戻ってきてからの生活を区別するのに苦労していて、それが俺たちの作曲における生産性に影響を与えていたのかもしれない。つまり、2019年を通して俺たちは2、3曲しか作曲することができなかったんだ。だから全然順調に進んでいなかった。

そこで、物事がうまく進んでいないなら、別の方法を試してみようということになった。2020年初めくらいに1週間のUKツアーがあった。コロナの影響が出る直前だよ。そのツアー中は『Schlagenheim』以降の新曲も演奏していた。「John L」と「Chondromalacia Patella」、「Slow」と「Ascending Forth」を2月のライブで演奏した。「Ascending Forth」はジョーディが大部分を作曲してからみんなに紹介した曲なんだ。その時に、こういう作曲の仕方があって、今までとは違う制作もできるんだなと思った。そこからそういう方法にシフトしていって、その上、コロナの影響で同じ空間にいることが実質不可能だったから、個人で作曲をせざるを得ない状況になった。3月末には本格的にロックダウンに入り、6月になってからようやく一緒に制作活動ができるようになった。その時に、今まで各自で作っていた曲――「Marlene Dietrich」「Diamond Stuff」「Hogwash and Balderdash」「Ascending Forth」――を持ち寄って、話し合いながら肉付けして行った。個人的には、みんなと一緒に何かを作っていくというプロセスの方が好きだから、新しい手法に慣れるのには少し時間がかかったね。でも同時に、以前と同じ手法を続けても生産的でないということも十分承知していた。俺がわがままを言っても仕方ないし、最終的に同じ目的地に辿り着くために違った手法にしただけだから納得しているよ。今まではみんなでやっていた作曲を各自がやるようになったというだけで、それぞれの思いや考えを曲に反映することや、出来上がった曲が俺たちにとってパーソナルなものになることは変わらないからね。



―今の話に関連して、アルバム制作におけるサポートメンバーの関与について教えてください。例えば「John L」はサックスやピアノがフリージャズ的に多彩な変化をすることで生じる不協和音が楽曲の重要な要素となっていますが、これはプレイヤー各人の裁量、すなわちその場での即興に任せたものなのでしょうか。もしそうであれば、それは何テイクほど録音しどんな観点から選んだのでしょうか。

モーガン:あの曲に関して言えば、ピアノはジョーディが弾いていたものだと記憶しているよ。「John L」はマルタ・サローニとセッションできた2、3日の間に制作したもので、他のミュージシャンに参加してもらう前にできた曲なんだ。それまでは自分たちだけでできる限りのことをしようという姿勢だった。他のミュージシャンに参加してもらったのは10月、ジョン・マーフィとアルバムの残りの曲を録音した後のことで、サックスやピアノなどを追加した。セス・エヴァンスとカイディ・アキンニビは凄腕のミュージシャンたちで、特にカイディとは付き合いが長い。ジョーディとカイディは昔からの付き合い。俺たちはみんなブリット・スクールで知り合ったんだけど、俺とキャメロンは16歳の時に入学、ジョーディとカイディとマットは14歳の時に入学したんだ。カイディはとにかく最高だよ。昨日もパーティの帰りのタクシーの中で、俺はカイディのことを褒め称えていたんだ(笑)。最高のサックス演奏者だってね。セスも同じくらい素晴らしい。個人的な意見だけど、ミュージシャンの鑑として完璧な人たちだと思う。即興的に思い付くアイデアも素晴らしいし、色々なことを試してみようというオープンな姿勢も持っている。それに、どんな失敗をすることも恐れていない。本当に素晴らしいミュージシャンたちだよ。彼らのような人たちがアルバムに参加してくれてラッキーだった。

彼らのパートをトラックに載せることに関しては、何の問題もなくスムーズにできたよ。それ以前の時点で、俺たちは曲になるべくたくさんのレイヤーを重ねていたから、彼らが演奏する時も、彼らにプレッシャーはなかった。曲に息を吹き込むようなパートが必要なんだってわけじゃなかったからね。ケーキの上にさらに多くのチェリーをのせていくみたいな感じ(笑)。オーバーダブは数日間に分けてやった。セスとカイディに来てもらった時と、俺の彼女のロージーに来てもらった時。ロージーは実は昨晩、カムデンのJazz Café で友人のオリヴィア・ディーンのサポートアクトを努めたんだ。素晴らしかったよ。とにかく、ロージーと、友人のブロッサムがバックヴォーカルで参加して、トロンボーンにはジョー・ブリストウ、「John L」のヴァイオリンにはジャースキン・フェンドリックス。みんな素晴らしいミュージシャンで、それ以前にみんな俺たちの友達だ。俺たちの周りにこのような素晴らしい仲間がいるのは特別なことだと思うし、ありがたいことだと思っているよ。


5人のコラボメンバーも参加した、KEXP収録のパフォーマンス映像

―次に、アルバムの構成について教えてください。Stereogumのインタビューでは、ストラヴィンスキーとメシアンがインスピレーションとなって「Ascending Forth」のメロディができたという話が出てきます。単純なパターンや繰り返しのリフに頼らずに循環的な性質を生むということが「Ascending Forth」では見事に達成されているし、そうした性質はアルバム全体の流れにも宿っていると感じられます。こうしたトータルアルバム的な構成は意図的なものですか? 

ジョーディ:意図的とまでは言わないけれど、音楽に始まりや終わりが感じられないような、無限なものとしての音楽という概念が好きなんだ。マーヴィン・ゲイのアルバム『What’s Going On』にもそういう感じがあって、終わるところから始まる、という感覚がある。でもそれは強制的に循環させているのではなくて、その音楽を聴いているとそれが無限に流れていくという感覚を呼び起こされるんだ。今回のアルバムでもそれと同様に、馬鹿げた細かいパターンに頼らずに、催眠効果があるような音楽を作ろうと思った。パターンを繰り返すということを十分にやれば催眠効果は必ず出てくるし、そういう風に作られた音楽で素晴らしい音楽もたくさんある。だけど、それはある種のカラクリだから、それだけに頼り過ぎたくはない。


ブラック・ミディの最新アーティスト写真として使われているイラストは、前作での3Dアニメに引き続きAnthrox Studioによるもの。


『Cavalcade』ジャケット。日本盤の帯について、バンド側は冨田勲の旧譜の帯を引き合いに色みや帯幅などを提案。それをもとにアートワークを担当したデヴィッド・ラドニックがまとめた。

―次の質問は少し踏み入っているので、秘密にしたい、隠したいと言うことであれば話さなくても結構です。CDの冒頭には「Intro」というシンセサイザーの無限音階的な序曲がありますが、これはアルバムトータルの完成度を高めるために配置されたものなのでしょうか。また、これをストリーミングサービスでは配信していないのはなぜなのでしょうか。

モーガン:そんなことはない、いい質問だと思うよ! これは面白いことだと思うんだけど、アルバムを受け取った側の人たちは、俺たちが考えている以上に物事を深読みすることが多いよね。それに毎回驚かされる。だからこの質問は興味深いね。「Intro」はオーバーダブをやっている最後の何日か前くらいまでアルバムに使うことを決めていなかったんだ。ジョーディがスタジオでシンセサイザーで遊んでいて、ローランドのJupiter 8だったかな? それが壮大な音の鳴るシンセで、俺たちはスタジオにいる間ずっとそれをいじって遊んでいたんだ。その最中に、やばいパッチを発見して、みんなで「この音はすげえー!」ってなった。映画館に入って、これから史上最高の一大傑作を観るみたいな感じがしたんだ。だからその場のノリで、「このサウンドはイケてる!」となって、その上にギターやサックスなどの音を加えて、アルバムの最初にくっつけた。だから、人々が思うほど考え抜かれたものじゃなくて申し訳ないけど、それだけの経緯なんだよ。質問の後半は何だっけ?

―これをストリーミングサービスでは配信していないのはなぜなのでしょうか。

モーガン:そうそう! それは、俺たちの考えとして、音楽とは、ストリーミングサービス以外で聴く方がより深い体験ができるというのがあるからなんだよ。ストリーミングサービスでこの曲を配信しても無駄になる気がしたから。わざわざアルバムのCDを買いに行ってくれた人は、きっと、人生の44分間を捧げてアルバムを通しで聞いてくれると思うんだ。だから、そういう人たちの方が「Intro」の価値を理解してくれると思った。納得の行く答えになっているといいけど。



-もちろん、よく分かります。それでは最後に、ブラック・ミディの音楽におけるポップさについて質問させてください。先に伺ったような循環的な性質や、多彩な要素が融け合う混沌とした構造があるのに、ブラック・ミディの音楽は非常に聴きやすく親しみやすいし、こうした両立具合はバンドの重要な持ち味だと思われます。この持ち味は『Cavalcade』において過去作よりも数段高度に強化されていると感じられるのですが、それは意図的に目指したことですか?

モーガン:それは確かにあるね。かなり強く意識したことだと思う。つまり、自分たちの音楽に、対極の要素を織り混ぜて行くということ。でも今振り返ってみると『Cavalcade』以前は、その対極の1つの側に、より重点が置かれていたと思う。つまり、『Schlagenheim』の楽曲には、ある種の特殊なエネルギーとヴァイブスがあった。俺は自分のアルバムがリリースされたらあまり聴き返さないから、想定を前提に話すけど、『Schlagenheim』というアルバムを、チルアウトしているとき、つまり公園にいる時や、ビールを飲んでいる時や、友達と遊んでいる時に聴いているという状況を想像できないんだよ(笑)。『Schlagenheim』はそういうアルバムじゃないから。ある特定の精神状態でいることが求められる。それはそれで良いことだと思うよ。ある特定のマインドで聴くことが求められるアルバムというのもクールだと思うし。

『Cavalcade』では、君が言ったように、もっと親しみやすくしたいと思ったし、同時にもっとクレイジーにしたいという思いもあった。存在する領域の両端を最大限に活用したいと思った。その考えはアルバムのプロダクションの過程で最も活かされたと思う。俺たちが常に念頭に置いていたのは、ECMレーベルのキース・ジャレットやチャーリー・ヘイデンのアルバムのような、実際に演奏の場にいるように聴こえる素晴らしいレコーディング基準と、フランク・ザッパのようなクレイジーでカオスな音楽を融合させようということだった。俺たちが感じていたのは、そういう2つの対極があって、多くのアーティストはそのどちらかに傾倒しがちで、その間の両方のニュアンスを表現するものがないということで、だから俺たちはその間のギャップを埋めるような表現をしたいと思っていた。それに気付いてくれる人がいるのはとても嬉しいことだよ! 俺たちは音楽を、より身近なものにしたいと思っていると同時に、よりカオティックにもしたいと思っているからね。

―今日は取材に応じてくださってありがとうございました! 来日ツアーが決まって、すごく楽しみにしています!

モーガン:そうだったね! 昨日発表されたんだっけ?(インタビューは6月11日に実施)。日本のみんなに会うのが楽しみだよ。ライブもすごいことになるぜ! そのときにまた色々話そうね! 今日はありがとう!




ブラック・ミディ
『Cavalcade』
発売中
詳細:https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11766



black midi japan tour 2021
2021年9月15日(水)梅田CLUB QUATTRO(※キャパ制限あり)
2021年9月16日(木)名古屋THE BOTTOM LINE(※キャパ制限あり)
2021年9月17日(金)渋谷TSUTAYA O-EAST(※キャパ制限を鑑み1日2回公演)
詳細;https://www.beatink.com/products/detail.php?product_id=11891

Translated by Emi Aoki

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