訓練に参加する10代から60代までのウクライナ市民
戦闘訓練を円滑にするため、ふたりの英語話者が加わった。ステーシーと名乗るひとりは、侵攻開始当時に最前線にいた現役の陸軍将校だ。社交的でエネルギッシュな赤毛の彼女は、何日間も地下シェルターに避難していた時のことを語ってくれた。ステーシーによると、彼女の部隊を壊滅させるためにロシア軍が集中砲火や空爆を仕掛けてきたのだ。「全然楽しくありませんでした」と彼女は言った。
全貌が明らかになっていないこの作戦には、ある程度の安心感と多義性が必要だった。それを体現しているのがもうひとりの英語話者のミキータだ。見事なヒゲをたくわえた彼は、おしゃれなベースボールキャップ、カーゴパンツ、ブーツ、パーカーという出立で、いくつもの小袋を持っている。彼の役割や経歴を詳しく知っている人は誰もいないが、与えられた仕事は確実にこなした。
「訓練に使える建物が必要です」とフェイスマンは言った。
「了解」とミキータは言い、電話をかけた。
「志願者たちに必ず武器を持参するようにと伝えてもらえますか?」とハンニバルは訊ねる。
「了解」と言って、ミキータはメールを送信した。
武器、乗り物、食料……ミキータは無表情でうなずくと、スマホに何か打ち込んだ。すると、問題は解決した。まもなくしてハンニバル氏のチームは、旧ソ連時代の崩れ落ちそうな産業複合施設の工場の屋上に立っていた。
「これで軍隊があれば完璧ですね」と、打ち捨てられた建物を見ながら、フェイスマンが満足そうに言った。
「女性と子供たちを安全な場所に避難できるように、“回廊”の作り方を教えてくれるのでしょうか?」というのが志願者からハンニバルに向けられた最初の質問だった。
これで状況がクリアになった。彼らは、自分たちを守る方法を学ぼうと必死なのだ。大虐殺を目の当たりにした彼らは、その波が近づいていることを知っていた。誰でもいい、とにかく生き延びるための術を誰かに教えてほしかったのだ。
「みなさんの中には、このような状況になるとは夢にも思っていなかった人もいるでしょう」とB.A.は志願者に語りかけた。「でも何よりも重要な点として……敵がここに来ても、みなさんが有利な立場にあることをわかっていてください。なぜなら、ここはみなさんのホームだからです。レジスタンスは勝ちます。重要なのは、その勝利がいつ訪れるかです」
B.A.の言葉とは裏腹に、集まった40名そこそこのウクライナ市民を見る限り、その勝利は確約されたものとは程遠いように思える。最年少の志願者は、いずれかのタラスが「14歳くらいにしか見えない」と言った少年で(のちに16歳であることが判明)、最年長は60代といったところだ。商店の経営者、事務員、給仕係、倉庫のマネージャーなどだ。志願者の大半は大学生だった。
「アサルトライフルを入手することができません」と大学生のひとりが私に言った。店では、22口径の小型拳銃しか売っていないと彼は言う。大学生の中には、長さ4フィートのモーゼル式のボルトアクションライフルを使う者もいた。刻印を見ると、「1933年製」だ。
翌朝になると、3名の講師は室内掃討訓練に備えて志願者たちを分隊に分けた。
「この訓練のねらいは、反撃するためのベストプラクティスをみなさんに伝授することです」とハンニバルは彼らに言った。
丸一日にわたって小隊・分隊の戦術と武器の扱い方を学んだあと、ハンニバル氏のチームはアパートメントに戻り、マードックがこしらえたタコスを食べた。ターニャは、口コミが広がりはじめ、別の地方の副知事から同地の市民たちを訓練してほしいという要請があったと言った。そこには原子力発電所がある。
「正真正銘のレジスタンス・アカデミーだ」とB.A.は言った。
「まさか、ここを離れるつもりじゃないよな?」とフェイスマンはハンニバル氏に言った。
ハンニバルは作り笑いを浮かべ、妻を見やった。両親の避難を成功させようと、電話越しの会話に集中している。
4名で構成されたふたつのチームが下車歩兵部隊の動きとともに注意深くダイヤモンド型に並ぶ様子を、フェイスマンはじっくり観察していた。
「あまり寄りすぎないで」とフェイスマンは言う。「広がってください。非言語コミュニケーションを使って。誰かが自分たちの防衛区域をチェックして、分隊のリーダーに異常がないことを伝えてください」