追悼・高橋幸宏 YMOを支えた音楽家の軌跡を振り返る

1980年に発表された、シンセポップやシティポップの流れを汲む高橋のソロ第2作『音楽殺人』は、YMOのバンドメンバーが参加し、モスデルの英語詞で構成されている。翌年には、ロキシー・ミュージックのフィル・マンザネラやアンディ・マッケイをフィーチャーした『ニウロマンティック』を発表し、「ドリップ・ドライ・アイズ」をヒットさせる。さらに1982年には、ビー・バップ・デラックスのビル・ネルソンやYMOのバンドメイトとコラボした『WHAT, ME WORRY?』をリリースしている。




1981年、ムーンライダーズの鈴木慶一とTHE BEATNIKSを結成し、最初のアルバム『出口主義』をリリース。その後、数十年にわたるパートナーシップを築く。

多作なアーティストである高橋は、80年代を通じてジャンルを問わずにソロ作品を発表。YMOは活動停止していたが、メンバーは互いのソロプロジェクトでコラボレーションを続けていた。高橋は80年代後半には俳優業、映画のサントラ、ゲーム音楽にも進出した。

2000年代には細野と再タッグを組んでスケッチ・ショウを結成。2004年には坂本が加わってヒューマン・オーディオ・スポンジへと発展した。



2014年、高橋はMETAFIVEと呼ばれるスーパーグループでツアーを行い、2010年代の後半にスタジオ・アルバム、EP、ライブ・アルバムをリリースした。2020年にシングル「環境と心理」をリリース。高橋はこの曲のリリース直後に腫瘍の脳外科手術を受けるため休養に入った。



高橋の訃報を受け、YMOのバンドメイトである坂本がSNSに灰色の四角形をSNSに投稿。ファンが高橋への賛辞を書き残していく器となった。


From Rolling Stone US.

Translated by Rolling Stone Japan

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