戦後のガールポップ誕生伝説、伊東ゆかりと語る江利チエミ

伊東ゆかり

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2023年1月の特集は「伊東ゆかりステージデビュー70周年」。1947年生まれ、6歳のときに米軍の下士官クラブのステージで歌い始め、11歳でレコードデビュー。その後、カバーポップス、カンツォーネ、歌謡曲、J-ポップ、シティポップスなど時代の流行に乗ってヒット曲を放ち続けてきた伊東ゆかりの軌跡を5週間に渡って辿る。パート2は、伊東ゆかり本人とともに同時代を彩ったヒロイン・江利チエミについて語る。



「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは、伊東ゆかりさんの「恋のしずく」。作詞・安井かずみさん、作曲・平尾昌晃さん。1968年1月発売、J-POP史を飾る女性ポップシンガーの名曲ですね。今週の前テーマはこの曲です。

改めて忘れられない曲を選んでくださいとお願いしたら、彼女が選んだ曲の中に「小指の想い出」と「恋のしずく」が入ってなかったんです。なぜ選ばなかったかは、先週の話で明かされました。特に拒否反応があったのが「小指の想い出」だったんですね。歌謡曲だと思った。私が歌う歌じゃない。園まりさんが歌えばいい。なんでそう思ったのかというと、彼女がレコードデビューの前に英語の歌を歌ってたからで、ポップスシンガーなのよ、という自負だったんでしょうね。今週から3週間は、その証のような内容になっております。

伊東ゆかりさんは50年代後半から60年代初めにかけて日本で一世を風靡した洋楽のヒットを日本語で歌うカバーポップスと呼ばれるムーブメントの主役の1人だったんですね。その前は米軍キャンプで米兵の前で英語の歌を歌っていた少女だった。そんな話を3週間にわたってお送りします。日本のガールポップ発祥の生き証人に同じ時代を生きたレジェンドのことも伺っていきます。今月の裏テーマはガールポップ誕生伝説。

田家:こんばんは。

伊東:こんばんは、伊東ゆかりでございます。生き証人(笑)。

田家:生きる伝説というのはこういうことを言うんだっていうね。

伊東:シーラカンスみたいな?

田家:だって皆さんいらっしゃらないんですよ、もう。

伊東:みんな天国に行っちゃいましたからね。

田家:今週取り上げる方もそうですしね。カバーポップスって僕ら言っているんですけど、当時はどう思われていたんでしょう。

伊東:私はもう進駐軍で歌っていましたから。

田家:とても自然なことだったっていう感じだったんですね。初めての舞台が、米軍の下士官クラブで、今の東京の聖路加病院。

伊東:聖路加病院がアメリカ軍のための病院だったんですね。私の記憶の中ではあそこが最初でした。とっても静かなクラブでした。兵隊さんでも位の下の方のは賑やかですけど、位の高い方だとお上品な感じで、声は出さない。拍手はしてくださいますけど。

田家:江利チエミさんとか弘田三枝子さんも、そういう始まりでしょ?

伊東:そうです。私のライバルは弘田三枝子さんでしたから。あの頃三枝子さんはジェスチャーたっぷりでミスダイナマイトってニックネームで、私は突っ立ったままノースマイル(笑)。

田家:その話は再来週させていただく予定なので、今日は江利チエミさんの話を伺いたいんですが、1937年生まれのチエミさんはレコード会社の先輩だった。

伊東:キングレコードでデビューさせてもらってからの大先輩ですよね。進駐軍の頃は父がベースを弾いていてチエミさんのお父様の久保さんと親しくて、1、2回お家に遊びに行ったことがあります。チエミさんはいらっしゃいませんでしたけど。忙しかったんでしょうね。

田家:まずは伊東ゆかりさんのカバーポップスをオール・タイム・シングル・コレクションから1曲お届けしようと思います。1962年のシングル。オリジナルはエディ・ホッジスでした。

Rolling Stone Japan 編集部

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