ミシェル・ヨーが語る、『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』に巡り合うまでの物語

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』でのミシェル・ヨー (c)2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

第95回アカデミー賞授賞式で、映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が作品賞など最多7部門を受賞。主演のミシェル・ヨーはアジア系として初めて主演女優賞に輝いた。香港映画界のアイコンがマルチバースを舞台とする不条理コメディに出演し、キャリアで学んだすべてを発揮するまでの物語とは。米ローリングストーン誌のインタビューをお届けする。


第95回アカデミー賞 最多7部門受賞
★作品賞
★監督賞:ダニエルズ(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート)
★脚本賞:ダニエルズ(ダニエル・クワン、ダニエル・シャイナート)
★主演女優賞:ミシェル・ヨー
★助演男優賞:キー・ホイ・クァン
★助演女優賞:ジェイミー・リー・カーティス
★編集賞

無限の可能性が存在する多元宇宙、あるいはマルチバースのどこかでは、ミシェル・ヨーは4歳でバレエを始めていないのだろう。中国系マレーシア人の彼女は、未来のプリマドンナを目指してイングランドに留学するものの、背中を痛めてその夢を諦めることになる事態を見事に回避するに違いない。その宇宙では、彼女がミスコンに出場して優勝することもなかったのかもしれない。仲の良い友人が彼女の写真を知人のプロデューサーに渡したことをきっかけに女優になるのではなく、何か他の道を歩んでいるはずだ。そこでは当然、彼女は香港映画界の黄金時代のアクションムービーアイコンではない。90年代後半にボンドガールを演じることもなく、『グリーン・デスティニー』に代表されるインスタントクラシックの数々にも出演しておらず、マーベル作品で主役顔負けの存在感を発揮することもなく、気丈で口達者な義理の母親役で強烈なインパクトを残してもいない。ましてや、おもちゃの目玉にディルド、そして尻栓が登場する複雑な格闘シーンがあるプロジェクトに、彼女が携わることは絶対になかったはずだ。

幸運にも(Luckilyーー腰を据えて話す機会に恵まれると、彼女がたびたび口にする言葉だ)、我々は何もかもがあるべき形で存在している宇宙に生きている。整然と並べられたドミノを倒すかのように、プライベートの面でも仕事の面でも理想的なステップを重ねてきたこの宇宙の彼女は、キャメル色のコートとベイビーブルーの猫目のサングラスというルックで、風が心地いい2022年3月のある日にテキサス州オースティンで取材に応じながら、自分がいかに幸運であるかを強調する。その女神が今も彼女に微笑んでいるのだとすれば、注文したマルガリータが間もなく出され、彼女は丁寧に礼を述べるはずだ。

最新出演作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』のSXSW Film Festivalでのプレミア初日から一夜明けた今日、ヨーは一日中取材に追われた。筆者とのインタビューが最後ということもあり、彼女はカクテルを片手に、リラックスした様子でジョークを口にした。「エヴリンが一番しなさそうなことよね」。ヨーが演じるその野暮ったいキャラクターは、ロサンゼルスにあるしけたドライクリーニング店のオーナーであり、遠い昔に両親の反対を押し切って若い男性と結婚し、中国からアメリカに移り住んだ。夫(『グーニーズ』への出演で知られ、現在はアクションコーディネーターとしても活躍するキー・ホイ・クァン)との離婚の危機に瀕しており、20代の娘(ステファニー・スー)とは関係が悪く、年老いた父親(ジェームズ・ホン)の面倒を見ながら、IRS史上最悪の税務調査をくぐり抜けようと必死になっているエヴリンは今、まさに中年の危機の真っ只中にいる。

あるいは、ミッドライブス・クライシスという複数形を用いるべきだろうか。税務調査開始の数秒前、典型的な草食系男子である夫は突如として勇猛果敢な戦士へと変貌し、無数の宇宙に無数の彼女が同時に存在しているという事実をエヴリンに告げる。彼によると、「この宇宙」にいる彼女だけが、あらゆる時間と空間と存在の破滅を防ぐことができるという。ダニエルズとして知られる2人組(『スイス・アーミー・マン』で知られる)が監督を務めた本作の一筋縄ではいかないストーリー展開は、まさに不条理コメディそのものだ。劇中には『2001年宇宙の旅』と『レミーのおいしいレストラン』のパロディも登場する。あるタイムラインでは人間が突拍子もない進化を遂げ、指がホットドッグになっている。他にもウエストポーチとオフィス家具、先述の大人のおもちゃが飛び交うオールドスクールなカンフーバトルや、悪役のジェイミー・リー・カーティスによる見事な飛び蹴り、果てにはベーグルのブラックホールまで、まさに何でもありだ。


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本作の主人公を演じるヨーは、マスターシェフや武侠の戦士、ミシェル・ヨーに酷似した華やかな映画スターなど、背景が全く異なる複数のエブリンを演じながら、この摩訶不思議な世界観に説得力と魅力の両方をもたらしている。そのためには、コメディからメロドラマまで、人類が知るあらゆる感情を表現する能力だけでなく、圧倒的な武術の心得も必要だった。豆腐を指に乗せて回転させたり、木に縛りつけた綱の上でカンフーファイトに臨んだり、走行中の列車にバイクを飛び込ませたり(1992年作『ポリス・ストーリー3』でヨー自身が実際に行ったスタント)してきたヨーの長年のファンであっても、本作における彼女の姿には驚かされるに違いない。

「初めて脚本を読んだときは、意味がさっぱりわかりませんでした」とヨーは話す。「大まかなコンセプトは理解できたものの、ディティールになるともうお手上げで……」。彼女はアニメに出てくる車のエンジン音に似た声を上げた。「ホットドッグの指? ディルドに尻栓? 何もかもが私の理解をはるかに超えていました」

脚本と監督を務めるダニエルズこと、ダニエル・クワンとダニエル・シャイナートの2人は、初めからヨーを想定してエヴリンのキャラクターを作り上げていったが、それは劇中で描かれるエヴリンとは大きく異なっていたという。「構想の段階から、彼女に出演してもらうつもりだった」。フェスティバルでのプレミアに先駆けて行われた遠隔インタビューで、クワンはそう話していた。「元々は男性が主人公になるはずだったんだ。夫役の男性が物語に出てくるあれこれを経験するっていうのが当初のプロットだった。でもいろいろと練っていくうちに、彼女を物語の中心に据えた方が面白いという結論に達した。ミシェルがこの役を完璧にこなす画が目に浮かんで、大いに興奮していたんだ。彼女以外の人選は考えられなかったから、もし彼女に却下されたら全部台無しになるっていうリスクもあったけどね。この映画は、彼女のアイデンティティと存在そのものなくしては成立しなかったんだ」

ヨーはダニエルズの2人の途方もないアイデアに若干困惑したものの、思い通りにいかない人生を送るごく普通の女性の誠実な物語という、奇想天外なプロットの背後にある部分に強く興味を惹かれた。無人島に漂着した2人の男性(うち1人は腹にガスを溜めた死体)の物語を描く2人の初監督作品『スイス・アーミー・マン』を観て、彼女は何もかも納得がいったという。「『あぁ、そういうことなんだ!』っていう感じでした。私は若手のディレクターと仕事をするのが好きなんです。何が何でもその才能を証明しないといけない彼ら彼女らは、怖いもの知らずでハングリー精神に満ちているので。私はそういう刺激を求めているんです。自分がハングリーさを無くしていろんなものを恐れるようになったら、その時は静かに舞台を去るべきだと思っているので」

ヨーはロサンゼルスで2人と会う機会を設けた。「指定されたのは、豪華なホテルの豪華なレストランだった」とシャイナートは話す。「『グリーン・デスティニー』や『クレイジー・リッチ!』でのイメージしかなかったから、僕らは恐る恐るといった感じで『最近観た中でお気に入りの映画は何ですか?』って訊いたんだ。なのに返ってきた答えが『デッドプール2 』で、思わず拍子抜けしちゃってさ。彼女は気取ったところが全くない、この上なくフレンドリーな人だった」

クワンはこう話す。「初対面の時から、彼女は変わり者の甥っ子に対するように接してくれた」

「豪華なホテルの豪華なレストランにいそうな客の対極にある人なんだよ」。シャイナートはそう付け加えた。

「自問したのは、『なぜこんな仕事を引き受けたのか?』ではなくて、『なぜここまで来るのに40年もかかってしまったのか?』ということでした」。ヨーは笑ってそう話す。「長年この業界で生きてきて、やっと誰かが『ミシェルなら全部できるんじゃないかな』って言ってくれるようになった。私はコメディには滅多に出ないし、少なくとも文字通りのコメディのイメージはないと思います。この作品は、近年私が仕事を通じて取り組んできたいろんな物事のきっかけになって……」。彼女は一度話を区切り、頭を下げてメガネを覗き込んでからこう続けた。「キャリアを通じて、私はこういう機会に巡り合い、それをしっかりとこなすチャンスが来るのをずっと待っていたんです」

Translated by Masaaki Yoshida

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