ビリー・アイリッシュが語る、再出発への決意

ビリー・アイリッシュ(Photo and Directed by Aidan Zamiri)

3年ぶりのアルバム『HIT ME HARD AND SOFT(ヒット・ミー・ハード・アンド・ソフト)』をリリースしたビリー・アイリッシュ。キャリア史上最高傑作と呼ぶにふさわしいアルバムを作るため、アイリッシュは自らの過去を再訪し、すべてを新しい視点から作り直した。

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その時、ビリー・アイリッシュは水を張ったプールの底にいた。身体が勝手に浮いてこないようにと、両肩にいかつめの重りまでつけられている。控えめに言っても、当の本人がこの状況を楽しんでいるようには見えない。「6時間ぶっ通しで水責めにされていた」と、後になって22歳の歌姫は私に打ち明けた。「どういうわけか、苦しくて仕方がないとは思わなかった。でも、決していい気分ではなかった」

アイリッシュはショートパンツに黒いバギーパンツを重ね、長袖の防寒インナーの上にボタンダウンシャツを着ていた。ストライプのネクタイを締め、アームウォーマーもつけている。いろんなスタイルのシルバーリングとゴシックなスタッズ付きブレスレットだけでも重いのに、きわめつきはあの重りときた。そして、息を止めては水に潜る、という行為を先ほどから何度も何度も繰り返している。1回で潜れるのは、最大で2分程度だ。その間、フォトグラファーのウィリアム・ドラムが水中に漂うアイリッシュの姿をカメラに収めていく。水の中にいる2分間、アイリッシュはずっと眼を開けている。ゴーグルや鼻栓といったものには一切頼ろうとしない。

2月某日の午後、私たちはロサンゼルスの北にある、サンタクラリタという街の撮影スタジオにいた。雨が降っていて肌寒かった。その日、アイリッシュは40人近いスタッフに囲まれていた。スナック菓子やジンジャードリンクがぎっしり並んだテーブルの隣には、アイリッシュのスタイリストとマネジメントチームの面々、そしてケータリング業者たちが立っている。アイリッシュが水面に顔を出すたびに酸素マスクを持って駆け寄るスタッフもいる。そのひとりが「あと3回息をしたら、もう1回潜ります!」と叫び、彼女が再び潜るまでのカウントダウンをはじめた。アイリッシュの母親であるマギー・ベアードがプールの淵に座り、熟練のダイバーでさえ音を上げるほどの苦しみに耐える娘の姿を心配そうに見つめた。

こうした苦しみは、いったい何のためなのか。すべては5月17日リリースの3rdアルバム『HIT ME HARD AND SOFT』のためである。アイリッシュは、ニューアルバムのジャケット撮影に臨んでいたのだ。「今回の撮影についてひとつだけ言えるとしたら、それは私がこの地獄のような苦しみを自ら望んだってこと」とアイリッシュは言った。「私は、昔からこうやって生きてきたし、これからもこうやって生きていくと思う。私の作品の多くは、いろんな意味で身体的な痛みを伴う。でも、私はそれが大好き。そのために生きてるんじゃないかって思うくらい」


Photo and Directed by Aidan Zamiri
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このおよそ48時間前、アイリッシュは見事グラミー賞を獲得した。映画『バービー』のサウンドトラックのために書き下ろした優しくも切ない大ヒット曲「What Was I Made For?」が第66回グラミー賞授賞式で年間最優秀楽曲賞に輝いたのだ。授賞式を終えてもアイリッシュはベッドに入らず、翌朝の7時半までずっと起きていた。それからまるで電池が切れたように眠り、午後1時に起床。アボカドをのせたトーストを食べ、今日の撮影に備えて赤い髪を真っ黒に染めた。



奇妙な道のりだった、とアイリッシュは振り返る。「What Was I Made For?」がまさかここまでヒットするとは思ってもいなかったのだ。ここ数カ月間は授賞式の連続で、記憶があいまいになっている。しばらくの間——少なくとも、ニューアルバムがリリースされるまでは——この世界から消えたいと願っている。「いったい何回歌えば満足してもらえるの?って感じだった」とアイリッシュは言った。「来る日も来る日も、毎秒ごとに『バービー、バービー』って連呼された。それはそれですごく嬉しいんだけど、アカデミー賞が終わって私が(歌曲)賞を逃したら、きれいさっぱり消えるつもり。文字通り、姿をくらますんだ」

自らの予想とは裏腹に、アイリッシュは見事アカデミー賞にも輝いた。「What Was I Made For?」が第96回アカデミー賞にて歌曲賞を受賞したのだ(2022年に『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』の主題歌で同じ賞を受賞して以来、2度目の受賞)。3月10日に授賞式が行われたロサンゼルスのドルビー・シアターのステージでオスカー像を手にした彼女は、アカデミー賞を2度受賞した最年少アーティストという記録を打ち立てた(訳注:ビリー・アイリッシュだけでなく、共作者である兄のフィニアス・オコネルも同様)。「昨夜、悪夢にうなされました」とアイリッシュはオーディエンスに向けて言った。「こんなことが現実になるなんて、思ってもいませんでした。すばらしい幸運に恵まれたと思うと同時に、とても光栄です」

2019年(当時17歳)にリリースしたデビューアルバム『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』で世界的なセンセーションを巻き起こして以来、アイリッシュの人生は、こうした非現実的とも思えるような予想外の出来事の連続だった。このアルバムは、自身の繊細な心と不安感をリアルに描いた作品として、いまでは名盤の仲間入りを果たしている。アイリッシュは、自身のダークな世界観——青みがかったグレーの瞳から黒い涙が流れたり、口の中からクモが這い出てきたり、まるで堕天使のように天から落ちてきたりといった独自の世界観によってオーディエンスを虜にしたのだった。



3rdアルバム『HIT ME HARD AND SOFT』は、出だしから私たちをそうした世界に突き落とす。うつ病との壮絶な闘いから、自身の一挙手一投足が世間の憶測を生むことに対する嫌悪感まで、アイリッシュ自身のさまざまな感情が描かれているのだ。さすがに今回は思いもよらないところからクモは出てこないが、アイリッシュは自身の闇と触れ合うことで再び自分らしさを取り戻すことができたと感じている。これについて彼女は、「このアルバムは、まさに自分って感じがする。ひとりのキャラクターを描くというよりは、『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』の自分版、みたいな感じ。青春時代や子供の頃の感覚を呼び覚ましてくれた」と語った。

2019年は、アイリッシュにとって目まぐるしい一年だったに違いない。だが実際は、自分がそれを生きている、という実感がなかったと明かした。「人生最高の一年だったけど……」と口を開き、次のように続けた。「今回のアルバム制作は、17歳の自分に戻っていくようなプロセスだった。私は、17歳の自分を失って悲嘆に暮れていた——いつの間にか彼女は、世界とメディアという波に呑まれて、いなくなってしまったから。それ以来、ありとあらゆる場所で彼女を探し続けてきた」

はじまりは、パンデミックの足音が忍び寄る2020年にまでさかのぼる。「独りでいすぎたせいで、自分のことを客観的に見られなくなっていた」とアイリッシュは回想した。「だから髪を金髪に染めた。その瞬間に『これで誰だかわからなくなった』と思った」。ロックダウン下の混乱の時期に2ndアルバム『Happier Than Ever』(2021年)をレコーディングし、その内省に富んだジャズ寄りの楽曲は、アイリッシュのきらびやかなドレスと新しいヘアスタイルとともに絶賛された。そのいっぽうで、同作はデビューアルバムの目も眩むようなまばゆさを欠いていたのも事実である。アイリッシュの兄であり、もっとも近しいコラボレーターでもあるフィニアス・オコネルは、苦しくて混乱した時期だったと振り返る。「あの頃は、ストームシェルターの中でおとぎ話を読んでいるような、不思議な気分でした。それは、あのアルバムに対処するための心の作用だったのです」



アイリッシュは、あの頃のことを後悔していない。昔の自分を取り戻すには、コンフォートゾーンから抜け出して新しいことに挑戦しなければならなかったことを理解しているのだ。「『HIT ME HARD AND SOFT』に取り組むことは、いろんな意味で過去と向き合うことでもありました」とフィニアスは語る。「このアルバムには、過去の亡霊が取り憑いているような気がするんです——もちろん、いい意味で。アルバムに収録されている楽曲の中には、5年前から温めていたものもあります。当然ながら、そうした曲にはそれ自身の過去があります。私は、このアルバムのそういうところがとても気に入っています。ビリーにとっての『WHEN WE ALL FALL ASLEEP, WHERE DO WE GO?』時代は、まさにこうした“気取り”と“闇”の時代でした。それなら、世界中の誰よりもビリーが得意なことは何だろう、と考えました。このアルバムは、まさにそれを模索した結果なのです」

懐かしい闇にどっぷりと身を浸し、弦楽四重奏やダンスフロアを想起させるきらびやかなトランスといった新しいサウンドを盛り込んだ『HIT ME HARD AND SOFT』は、アイリッシュのキャリア史上最高傑作と呼ぶにふさわしい作品である。2ndアルバムのタイトルトラック「Happier Than Ever」に象徴されるウィスパーボイスは健在だが、いくつかの楽曲では、「囁いているだけ」と批判する人たちを一蹴するかのようなフルスロットルのボーカルも披露している。

「ビリーは、ストーリーテリングが何たるかをあの若さで理解しています」と、ドナルド・グローヴァーは語る。アイリッシュは、グローヴァーが手がけたドラマ『キラー・ビー』で俳優デビューを果たした。「さらに彼女は、自分が経験したことを隠したり誤魔化したりしません。誰かのためではなく、自分のために人生を生きているのだと思います」とグローヴァーは言った。

6時間にわたる水中での撮影がようやく終わった。クランクアップと同時に、アイリッシュがトレーラーに駆け込む。それから20分間、とめどなく流れる鼻水と格闘し続けた。「身体の中が全部鼻水になっちゃったんじゃないかって思うくらい、かんでもかんでも鼻水が出てきた」と、アイリッシュは後日、私に語った。鼻水がひと段落すると、ふらふらとした足取りで実家のソファに倒れ込んだ。重りのせいであざができ、喉が痛くて声も出ない。鼻の痛みを和らげようと、鼻うがいをする。髪を2回洗い、フェイスマスクをして肌のケアも忘れない。過酸化水素、アルコール、ぬるま湯の順に入念に耳を洗うと、辛い食べ物で腹ごしらえをした。



Photo and Directed by Aidan Zamiri
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Photo and Directed by Aidan Zamiri
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「『家に帰って、ゆっくり湯船につからないと!』ってみんなに言われたことを覚えている。そうだよね、だって6時間も水の中にいたんだから」とアイリッシュは振り返った。言われた通りにすると、実家の裏庭の異変に気づいた。「光が線のように連なり、その周りに光輪のようなものができていた。徹夜続きだったから、自分がハイになって酔っ払っているのかと思った。『ママ、何あれ? 見える?』って訊いても『いったい何のこと?』って返されちゃった」

その後、アイリッシュは気を失ったかのように9時間ぶっ続けで眠った。普段の彼女からすると異常事態だと心配した母親は、わざわざ寝室まで行って娘の様子を見に行ったほどだ。「撮影後にあそこまでダウンしたのは、あれが初めてだった」とアイリッシュは回想した。「撮影のために、あんなにつらい思いをしたのも初めて。きっと、子供を産むのもこんな感じなんだろうな。経験したことのないような痛みに12時間耐え抜いて、最高のジャケット写真を撮る——そういうことなんだよね」

子供の頃、アイリッシュは水が怖くて仕方がなかった。ひとりで泳げるようになるまで水の中から出してくれなかった水泳教師や、海で波にさらわれてライフガードに助けてもらったことなど、水に関するつらい思い出には事欠かない。勇気を振り絞って飛び込めるようにはなったが、泳ぐことを考えると、恐怖で心臓がバクバクすると言う。クジラも大の苦手だ。

「世の中の人は、どうしてクジラを見ても平気なの? あんなに巨大な生き物がこの世に存在するなんて! 鳴き声も超怖いし! マジで怖すぎる!」

Translated by Shoko Natori

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