キース・リチャーズ、故スコティ・ムーアを語る:「彼は俺のヒーローだった」

スコティ・ムーアは俺のヒーローだった。彼の演奏には少しばかりジャズがあって、いくつかの素晴らしいカントリーのリックがあって、同時にブルースに根ざしていたんだ。真似されたことなんかなかった。俺もコピーできなかったよ。俺が最も彼に近づけたのは『パラシュート・ウーマン』とか数曲で、エコーを使いまくったんだ。あの頃のエルヴィスの録音は、スタジオの可能性という点で興味深かったね。最初に手にいれたのは『ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス』、『ミルクカウ・ブルース・ブギー』といった"サン・スタジオもの"だった。だが『ミステリー・トレイン』が頂点だね。ベースにビル・ブラック、アコースティック・ギターはエルヴィス、そしてスコティだけなんだ。ドラムスなしさ。それはもう驚くほど広がりのあるサウンドだった。エルヴィスの持っていたものはその年齢にふさわしくなかった。だって19や20歳だ。度肝を抜かれたよ。『I’m Left, You’re Right, She’s Gone』とか、いくつかの曲ではスコティに疲れが見えたものもあったのは、いまだに分からないけどね。スコティに尋ねたら、彼はニヤッと笑っただけだ。

俺たちが本当に知っているスコティのすべては、曲としては割と少ないんだ。彼は60年代の初めにはエルヴィスとのレコーティングを止めてしまったけれど、68年に特別に戻ってきた。また一緒に続けるのを願っていたけど、実現しなかった。おそらく、まだその都度の予算に応じた演奏料しかもらえなかったんだよ。あのバンドは『監獄ロック』でもなんでもそうだったからね。"大佐(訳注:エルヴィスのマネージャー、トム・パーカー大佐)"と仕事するってことはそういうことだったのさ。

スコティは、レス・ポールとチェット・アトキンスの2人から大きな影響を受けている。2人は強烈なイノベーターだったね。スコティはジェントルで、控えめな男だった。ケチでね、みんなスコティはタダではなにもしないと思っていたよ。1996年、ウッドストックのリヴォン・ヘルムのスタジオで、リヴォン、スコティ、それからエルヴィスのドラマー、D.J.フォンタナとセッションしたんだ。俺はよく自分のヒーロー達と演奏したよ。19歳の時にはリトル・リチャードと彼の楽屋で、確か『This’ll do!』を演った。でもこの時のセッションが最高だった。"グッド・オールド・ボーイズ"のセッションだね。あの日は相当ウィスキーを呑んだよ。スコティ・ムーアのような人はもう現れないだろう。

聴き手:パトリック・ドイル

Translation by Kise Imai

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