ゾンビ映画の金字塔『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』公開から50年

公開50周年を迎えた『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』


今から50年前の1968年10月1日の午後、ジョージ・A・ロメロによる『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』が初上映された。当日の会場で見られた観客の反応は、その後無数の映画館で再現されることになる。1969年にマチネーで同作を観たロジャー・イーバートは、客席の子供たちの反応について「強度の精神的ショックにより、心的外傷後ストレス障害を起こしたかのようだった」と語っている。同作がNational Theaters Owners of Americaの「今月のエクスプロイテーション映画」に選ばれて以来、その人気は急速に拡大していった。同作は各地のドライブインやグラインドハウスで上映され、歴史あるMoMAの夜間上映作品にも選ばれた。大手制作会社が関与しない作品が次々とサブジャンルを生み出した時代において、ロメロを中心とする数名が作り上げたその自主制作映画は、史上最も成功したインディペンデント作品のひとつとなった。歯を剥き出しにし、人肉を求めてよたよたと歩き回るゾンビという画は、現在ではホラー映画におけるテンプレートとなっている。

同作がハリウッドから遠く離れた場所で生まれたということは、ある意味では必然だったと言える。思いもよらないところで発見されたという事実は、荒削りな同作の中毒めいた魅力に拍車をかけていた(収録テープの保存状態が極めて劣悪だったことは、レアなものに目がないマニアたちの好奇心を一層くすぐった。幸運にもテープはリストレーションに成功したが、同作が持つ毒々しさは決して薄れていない)ブロンクスで生まれ育ち、企業を相手としたショートムービーの制作のほか、『Mister Rogers’ Neighborhood』のエピソードを不定期で手がけていたロメロが、(ジョン・ルッソと共に)ホラー・コメディを作るべくそういった仕事をすべて放棄したというエピソードは、自主制作映画のファンの間では広く知られている。台本の下書きを幾つか破棄した後、2人のヴィジョンは形を成し始めた。彼らは同作のインスピレーションとしてE.C.コミックス、B級ムービー、リチャード・マシスンの小説『地球最後の男』、ヒッチコックの『鳥』等を挙げていたが、かつてNorth by Northwestでプロダクション・アシスタントを務めていたロメロは、『鳥』は好きではないと後に発言している。2人はプロダクション会社Image Tenを設立し、撮影は予算が確保できた時のみ行われた。完成した作品は救いのないエンディングを理由に各配給会社から敬遠されたが、インディペンデントのWalter Reade Organizationは同作を高く評価し、内容に一切の修正を加えることなく上映することに同意した。

同作は当時の社会問題を風刺している節があり、物議を醸すのは必至だと思われたが、同社はロメロに作品をトーンダウンさせようとはしなかった。アフリカン・アメリカンのデュエイン・ジョーンズを主演に起用したことが多方面で賞賛されたのは、それがイデオロギー的ではなく、あくまで実力主義に根ざした人選だったためだ。農場の一軒家に閉じ込められた人々を束ね、襲いかかってくるゾンビたちに立ち向かうベンを演じる上で、ジョーンズはまさに理想的だったとロメロは語っている。白人のみで構成された民兵隊がベンを撃ち殺すクライマックスのシーンを、多くの人々は痛烈な社会批判として受け止めた。ロメロは商談を目的に車でニューヨークで向かっていた時に、ラジオでマーティン・ルーサー・キング暗殺のニュースを知ったというが、その事件の描写とベンが銃殺されるシーンが重なったと後に語っている。同作がモノクロ仕様だったのは予算面が主な理由ではあるものの、ロメロはキュメンタリー『アメリカン・ナイトメア』で、「ニュースはモノクロが普通だ」と発言している。獰猛な犬を引き連れた民兵隊の姿は、否が応にも市民権運動のデモを想起させる。民兵隊がゾンビを皆殺しにしながら突き進んでいく様子は、当時毎日テレビで報道されていたベトナム戦争を連想させた。「私が手がけたゾンビ映画はすべて、その当時の社会情勢を反映したものだ」彼は2010年にそう明言している。



Translated by Masaaki Yoshida

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