ランDMCが語る1988年、時代を逆行しつつも貫いた信念

ー『タファー・ザン・レザー』は、流行には左右されないというランDMCのマニフェストだったと思います。

むしろ時代を逆行してたからな。

ーライバルたちの活躍に焦りを覚えつつも、自分たちは我が道を進むことにしたと。

その通りだ。『タファー・ザン・レザー』は、ランDMCがランDMCたる所以を証明するためのアルバムだった。俺たちらしくあるために、ケインやEPMDやスリック・リックの後を追うような真似をするわけにはいかなかった。そこで俺たちが考えたのは、15歳の頃に俺たちがジェイの部屋でやってたような、ピュアなスタイルに回帰することだった。「サッカー・M.C.s」や「ヒア・ウィー・ゴー」のような、自分たちの原点に立ち返ることにしたんだ。

ーとはいえ、あなたは同曲で「この1983年みたいなルーティンをぶっ潰せ」と歌っていますね。

その通り!ノスタルジックになることなく存在感を示そうとした俺たちのやり方は、「チルドレンズ・ストーリー」とか「エリック・B・イズ・プレジデント」みたいなのを欲してるヒップホップのリスナーには理解してもらえなかったけどな。ワイルドで実験的、コーラスさえないあの曲はまさにパンクさ!ビースティーズの面々は気に入ってくれたんだけどな(笑)やつらやリック(・ルービン)から太鼓判を押してもらって、俺らはより自信を深めた。92年か93年頃になってようやく、世間はあの曲の魅力を理解し始めたんだよ。


ー時間差で「ビーツ・トゥ・ザ・ライム」が注目を集め始めたことを認識したきっかけは?

さぁね、世間がその魅力を理解するのに時間がかかったってことじゃないの。89年から93年の間は、誰も俺たちのことを気にかけていないようだった。でも俺たちは、ピート・ロックがプロデュースした「ダウン・ウィズ・ザ・キング」で復活してみせた。エアロスミスは俺たちとのコラボレーション「ウォーク・ディス・ウェイ」でカムバックを果たしたけど、あれとまさに同じケースだったんだよ。ピートはそのことを口にするのをためらってたけど、事実だからしょうがないよな。(1993年発表の)「ダウン・ウィズ・ザ・キング」で俺たちは再びチャートに返り咲き、ツアーで大勢の観客を動員し、ラジオでも曲がかかりまくった。5年ぶりに味わう快感だったよ。ランDMCの功績を認めないやつはいなかっただろうけど、俺たちが昔のエアロスミスのような存在になりつつあったのは確かだった。いわゆる過去の存在ってやつさ。でも俺たちは「ダウン・ウィズ・ザ・キング」で息を吹き返し、いろんな取材を受けるようになって、ノーティ・バイ・ネイチャーやQ・ティップ、N.W.A.、ドレー、2パック、ビギーとかと一緒にツアーを回るようになった。そういうライバルたちは皆こぞって、「ビーツ・トゥ・ザ・ライム」は最高だって言ってくれたよ。チャートには入らなかったけど、わかるやつにはわかってたってことさ。

ーメンバーのうち、サム・キニソンの大ファンだったのは誰ですか?

「丸一日チンコをくわえてろ!」ってやつな。彼のファンだったのはランだよ。クサを吸って安物の酒で乾杯しながら、やつはよくサム・キニソンの物真似をやって爆笑させてくれたもんさ。

ージェイが完成させた「ビーツ・トゥ・ザ・ライム」を初めて聴いた時のことを覚えていますか?

完成度の高さにぶったまげたよ。さっきも言ったけど、ヴォーカルは別の曲に合わせて録ってたからな。デイヴィー・Dにも感謝しないとな、やつはあの曲ですごくいい仕事をしてくれたからさ。デイヴとジェイなしじゃ、「ビーツ・トゥ・ザ・ライム」は歴史に残るような曲にはならなかった。2人の本物のDJがこの世に産み落としたマスターピース、それがあの曲さ。あのビートにラップを乗せるっていう大役を務めることができて、俺とランは幸運だったね。

Translated by Masaaki Yoshida

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