女性シンガー・ソングライターの先駆者、りりィの軌跡をプロデューサー寺本幸司が語る

「ダルシマを抱えてるりりィが本当に素敵」

田家:お聴きいただいたのは、りりィのデビューアルバムから『たまねぎ』から「私の映画」でした。続いては、寺本さんが選んだ4曲目で、1973年7月発売の「心が痛い」です。

寺本:これは、ライブの中で1番最後にキメっぽい曲がなかった時にこの曲を作ってくれたんですね。この曲を作ったことによって、僕は孤独だったりりィにバンドっていう友達を作って家族にしたいって思って。いっぱいセッションバンドを作ったんですよ、そのきっかけになった曲ですね。この曲はバンドでやらなきゃダメだなって思いました。

田家:この曲は1973年7月発売のアルバム『Dulcimer』に収録されています。このアルバムはジャケットが素晴らしかったですね。タイトルもいいし、ダルシマを抱えてるりりィが本当に素敵だった。

寺本:田村仁さん、"モノクロのタムジン"って呼ばれてる方がいたんですけど、あれはカラーのタムジンが出たなっていう傑作ですね(笑)。

田家:このアルバムのプロデューサーは元ジャックスの木田高介さん。『Dulcimer』はジャックスらしい曲もあったりして。木田さんの力は大きいですね。

寺本:大きいですよ、木田高介はりりィに対して「好きにやっていいよ」っていう信頼感があるんですよね。だからりりィの曲に手を突っ込まないけど、ここまで曲の魅力を引き出してくれる。元々3コードしか知らない女の子ですから、それがここまでのシンガー・ソングライターになれたっていうのは木田高介のおかげですね。

田家:このアルバムは「今日は空が雨で出来てる」っていう台詞入りの曲もあったりしてね。とてもドラマティックなアルバムでありました。アルバムアーティストっていうイメージがデビューからあったんでしょうか?

寺本:そうですね、そうしたいと思って。業界的な話ですけど、あの頃はそんなにアルバムでデビューする子がいなかったんですよ。東芝の新田和長さんっていうプロデューサーがイニシャル会議の時に「必ず5万枚売ってみせます」って言ってくれたんですよ。で、実際この『Dulcimer』で5万枚売ったんですよ。

田家:『Dulcimer』は売れるアルバムですよね。

寺本:それ見抜いてくれたのも彼だし、木田高介を引き合わせてくれたのも彼ですから。

田家:その時にどう思われました?

寺本:僕は彼のジャックス時代を知っていましたし、曲は歌謡曲って言われてもいいけどアレンジはその枠で収まりたくないなっていう風に思ってましたから。

田家:それは新田さんとそういう話もされていて?

寺本:まあ基本的に僕が任されていたのと、武藤さんっていう方と一緒に作っていく感じですよね。

・りりィ「心が痛い」


RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE