ミュージックビデオの進化とYouTubeの15年

YouTube黎明期のミュージックビデオ

Napsterやその他ファイル共有サイトがレコード会社に風穴を開けた。レーベル各社は躍起になって新たな収入獲得の方策を模索し、ミュージックビデオのような“おまけ”への予算を削減した。2000年代初頭から中頃には、ミュージックビデオはすでにお先真っ暗の状態だった。ミュージックビデオとYouTubeの変遷をまとめた『Unruly Media(原題)』で著者のキャロル・ヴァーナリス氏も書いているように、ハイプ・ウィリアムスやジョナス・アカーランドといった有名監督の年間製作本数も激減した。業界一の稼ぎ頭だったデイヴ・マイヤーズ監督の場合、2000年には41本のビデオを制作していたのが、2003年にはたった11本。2006年にはわずか3本だった。

業界への還元は尻すぼみになっていったものの、ミュージックビデオが完全に姿を消すことはなかった。ガガは「Just Dance」のインタビューで、TRLで火が付いたバックストリート・ボーイズやインシンク、ブリトニーといったアーティストの人気に言及している――どのアーティストも、楽曲と同じくらいビジュアルで10代のファンをがっちり掴んだ。YouTube前夜、ミッシー・エリオットの「Get Ur Freak On」、ジェニファー・ロペスの「Jenny From the Block」、ブリトニー・スピアーズの「Toxic」、ビヨンセの「Crazy in Love」といった2000年代初期のビデオには、古き良きMTVの華美さがそこはかと感じられた。

2005年のYouTube設立の頃には、MTVはすでに番組編成をリアリティ番組にシフトしていたが、ファンがお気に入りのミュージックビデオをネットで検索できるという新たな利便性は、ケーブルTVでミュージックビデオをオンエアするというビジネスモデルに追い打ちをかけた。同じ頃、YouTubeで“バズって”いたミュージックビデオ以外の動画は、全く新しいあっと驚くコンテンツを作り上げていた。プラットフォームに投稿された「Chocolate Rain」や「Shoes」といった奇妙奇天烈なビデオは、自然体で、いかにも低予算で、どこまでも変わっていたがゆえに、メインストリームカルチャーの仲間入りを果たした最初期のインターネットミームになった。

当然ながら、一部のミュージックビデオもこれを真似るようになった。オーケー・ゴーなどは、2006年の「Here It Goes Again」のようなギミック満載のローテクビデオでキャリアを築き上げたと言ってもいい。彼らは固定カメラを前に、ランニングマシーンに乗って一発録りダンスルーティンを披露した。2020年のTikTokにふさわしいような動画だが、YouTube黎明期にはこのようなミュージックビデオは珍しかった。実際、オーケー・ゴーは2006年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでもこのダンスを披露した――MTVにしてみれば、図らずとも新規プラットフォームにバトンタッチする形になった。



Translated by Akiko Kato

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