日本のポップミュージックそのものが松田聖子なのではないか? 1990〜テン年代の10曲



2016年9月に発売になった82枚目のシングル、「薔薇のように咲いて桜のように散って」。詞曲がX JAPANのYOSHIKIさんでした。YOSHIKIさんもそういう意味では松田聖子さんということで力が入った、自分でなければ書けない曲を書くんだということで、紅白歌合戦にも彼が登場しました。さっきユーミンの聖子さんをコンバット、戦場という風に例えた。じゃあどんな戦場だったんだろうという風に考えてみると、いろんなことが出てきます。一つは、売れるということが必ず命題になっていた。松田聖子の曲なんだから売れて当たり前、売れなかったら失格、失敗作という風になることを背負いながら曲を書くということがどれほど大変なのか。これは書く人だけじゃなくて歌う人にとってもそうでしょうね。松田聖子という人にとってはずっとそこにいた人で、そこに関わる人も売れるということを必ず求められていた。

そしてもう一つは、他の人がやっていないこと、これまでと違うことを求められてきている。松本さんが書いてきた詞が、ちょっと先の今までと違う松田聖子像を歌い込んできた。曲でも同じことですね。あの曲みたいだということが許されない。あれだけいろんな作家の人が書いてると、あの人みたいっていう風に言われないようにしないといけない。ポップミュージックっていうのはやっぱりビジネスですから、売れるものを再生産するっていう方向に行きたがるわけです。しかも売る方はそういうことを求めるわけですから、作る人、歌う人っていうのはそれに流されないようにしている。

松田聖子という人は、それを両方やってきた人。売れる松田聖子もちゃんと作ってきた、そして誰もしない、皆が理解できないような新しいことも挑戦し続けた。そうやってジャンルも世代もスタイルも超えてきて、アイドルであり続けている。このアイドルということが、こんな風に幅が広くって、僕らが考えている、誰もが考えているイメージと違うところにいながら、そこの枠の中にいる人っていう風に考えると、松田聖子という人は他にいないなと思いながら、この40周年の40曲の最後をこの曲で締め括りたいと思います。デビュー40周年の記念の曲「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」。



今年の4月に配信発売されました「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」。1983年のシングルの新録の40周年バージョン。発売されたときは英語で歌っている歌詞がとても評判になった曲でもあるんですが、そこを日本語で歌っております。松本さんが書いた当時の日本語の詩が残っていて、それを聖子さんが知って改めて歌い直したいと言ってこういう形になりました。当時は誰もが背伸びしすぎてないか、大人っぽすぎないかって思った曲ですよ。これはCMソングとして作曲家の大村雅朗さんに頼んだ。ディレクターの若松宗男さんも、曲を聞かされた松本隆さんも、それを歌うことになった聖子さんも、「え、これ大人っぽすぎない? これ私が歌うの?」と思ったという曲が今こういう風になりました。オリジナルの「SWEET MEMORIES 」は、聖子さんが初めてジャズを歌った曲でもあるんですが、そこから始まってクラブシーンまで経験して2017年と2019年にはジャズのアルバムを出しているわけですね。そういう意味では40年経っていろんな音楽のフィールドを回ってきて、またここに帰ってきた。そういう曲でしょうね。それでいてまだアイドルと呼ばせております。今年9月に新作アルバムが出ますよ、現役ですね。松田聖子は未完成ということになります。今年の4月に発売となりました、「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」でした。

Rolling Stone Japan 編集部

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