ロンドン生まれのブルース・ギタリストは、1965年にジョン・メイオール&ブルースブレイカーズでエリック・クラプトンの後任に抜擢されたのがキャリアの出発点だった。「彼は現時点でクラプトンより優れているとは言えないかもしれない。でも待ってくれ……彼は最高のアーティストになるだろう」とメイオールは当時のプロデューサーに語っていた。
その2年後、ブルースブレイカーズからの盟友でドラマーのミック・フリートウッドと共に自分たちのバンドを結成。それは後に、フリートウッド・マックとして知られるようになった。二人はブルースブレイカーズからもう一人、ベーシストのジョン・マクヴィーを迎え入れている。
グリーンが演奏・作曲の中心を担った初期のフリートウッド・マックは、当時のイギリスにおけるブルース・ロックのブームと共に成長していった。彼らは1968年のセルフ・タイトルのデビュー作を皮切りに、3枚のアルバムをリリースした。
グリーンが作曲した「アルバトロス」はすぐにイギリスのシングル・チャートで1位を獲得し、続くシングル「マン・オブ・ザ・ワールド」も2位を記録した。グリーンは1968年のシングル「ブラック・マジック・ウーマン」も作曲しており、この曲は後にサンタナのヒット曲となる。
1968年の『ミスター・ワンダフル』に続き、グリーン率いるフリートウッド・マックは1969年に『ゼン・プレイ・オン』をリリースした。しかしその頃から、グリーンの精神状態は悪化し始め、少しして統合失調症と診断され、精神科病院に入院することに。1970年5月、コミューンで静養していたグリーンは、ドラッグを断つことを誓ってフリートウッド・マックを脱退した。
「新聞が歪曲していようが何だろうが、神が私にさせたいことをしなければならないし、何かポジティブな行動を起こさなければならない」とグリーンは当時語っていた。「それが私が世間の目から消えてしまうことを意味するかどうかは心配していない。良い手本を示す方が重要だから」