ダイアナ・クラールが「育ての親」トミー・リピューマに捧げたソングブックを考察

 
ダイアナ・クラールとトミー・リピューマの歩み

さて、ここでダイアナ・クラールのキャリアを、リピューマとの関わりに焦点を当てて見てみよう。

1964年11月16日、カナダのブリティッシュコロンビア州に生まれたダイアナは、15歳のときからピアニストとして活動を始め、17歳でバークリー音楽大学に入学、レイ・ブラウンの知己を得てロサンゼルスに移った。初めてのレコーディングは1993年3月。ブラウンの愛弟子であるジョン・クレイトン(Ba)、ジェフ・ハミルトン(Dr)、そしてダイアナのピアノとヴォーカルのトリオ編成による『ステッピング・アウト』だった。

『ステッピング・アウト』を聴いてダイアナの才能に注目したのが、GRPレコーズの社長に就任したばかりのトミー・リピューマだった。1995年12月に発売された『オール・フォー・ユー〜ナット・キング・コール・トリオに捧ぐ』で、ダイアナの人気は急上昇し、このアルバムはダイアナにとって初のゴールド・ディスクとなった。



そして『ラヴ・シーンズ』(97年)、グラミー賞ベスト・ジャズ・ヴォーカル部門を受賞した『ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ』(99年)、『ザ・ルック・オブ・ラヴ』(2001年)と、ダイアナは「ジャズ・シンガー」の枠をはるかに超えたスーパースターに成長した。リピューマのプロデュースのすばらしさは、女性シンガーにありがちなキュートさやセクシーさを特にクローズアップせず、ダイアナの強さや誠実さを、ごく自然に提示したことにある。その後もダイアナの多くのアルバムはリピューマとダイアナの共同プロデュース名義になり、生前最後のプロデュース作が『ターン・アップ・ザ・クワイエット』だった。

トミー・リピューマのプロデューサーとしてのキャリアも実に華麗だ。インペリアル、A&Mを経て68年にブルーサム・レコーズを立ち上げたリピューマは、ガボール・ザボ、デイヴ・メイソン、クルセイダーズ、ニック・デカロ、ダン・ヒックス&ホット・リックス、フィル・アップチャーチなど多数のアーティストを担当し、デイヴ・メイソン『アローン・トゥゲザー』、ガボール・ザボ『ハイ・コントラスト』、ニック・デカロ『イタリアン・グラフィティ』などなど、歴史に残る名作を多数リリースした。76年にワーナーに移籍してからの代表作は、ジョージ・ベンソン『ブリージン』、ニール・ラーセン『ジャングル・フィーヴァー』、ドクター・ジョン『シティ・ライツ』、ビル・エヴァンス『ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング』、クラウス・オガーマン&マイケル・ブレッカー『シティスケイプ』、マイルス・デイビス『TUTU』、ボブ・ジェームス&デヴィッド・サンボーン『ダブル・ヴィジョン』など多数。また、来日時に聴いたYMOの新しさにいち早く気づき、彼らの世界進出のきっかけを作ったことも特筆すべき業績だろう。

90年代以降も数々の名盤、ヒット作を送り出し続けたリピューマだが、後半生の最大の功績は、やはりダイアナ・クラールを見出してスーパースターに育て上げた、ということに尽きる。

ところで実家が理髪店だったリピューマは、若い時に取得した理髪師免許をずっと更新し続けていた。「この業界、いつ何があるかわからないからね」確かに!






ダイアナ・クラール
『ディス・ドリーム・オブ・ユー』
2020年9月25日発売
価格:2860円(税込、SHM-CD)
https://jazz.lnk.to/DianaKrall_tdoyPR

 
 
 
 

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