『あの頃ペニー・レインと』公開20周年、監督が明かす制作秘話

解説:キャメロン・クロウ監督のフィルモグラフィ

1957年にカリフォルニアで生まれたキャメロン・クロウは、小学校を飛び級で卒業する天才児だった。13歳のときには地元のロック同人誌に寄稿するようになり、『クリーム』を創刊した伝説的なロック・ライター、レスター・バングスと親しく交流するようになった。

ローリングストーンから記事執筆の依頼が舞い込んだのは15歳のとき。すぐに彼は雑誌に欠かせないスタッフとなった。70年代以降のロックの変化に戸惑っていた年上のライターたちとは異なり、10代のクロウにとっては同時代のサウンドすべてが新鮮に響いたからだ。アーティストたちからも愛され、イーグルスやジョニ・ミッチェルなどから取材記者に指名されることも多かったという。

ローリングストーンが映画進出を模索しはじめると、21歳になっていたクロウは高校生を偽って地元の高校に潜入取材を敢行してルポルタージュを書き上げる。これに目をつけたユニバーサルが、クロウに映画脚本を書かせたのが、学園コメディ『初体験/リッジモント・ハイ』(1982年)だった。高校生たちの日常生活をヴィヴィッドに描いた脚本は評判を呼び、同作に出演したショーン・ペンやジェニファー・ジェイソン=リー、フィービー・ケイツらが注目されるきっかけとなった。1984年には同様のコンセプトを持つ『ワイルド・ライフ』の脚本を執筆。音楽はエディ・ヴァン・ヘイレンが担当している。

監督デビューは高校卒業したての10代の恋愛を描いた『セイ・エニシング』(1989年)。ジョン・キューザック演じる主人公が、アイオン・スカイ(英国のフォーク・シンガー、ドノヴァンの娘)扮するヒロインの寝室の窓にラジカセをむけてピーター・ガブリエル「イン・ユア・アイズ」を聴かせるシーンは、スティーヴン・スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』をはじめ、多くの映画でオマージュを捧げられる名シーンとなった。

当時の夫人でハートのギタリスト、ナンシー・ウィルソンの地元シアトルで撮影した『シングルス』(1992年)は、ロックスター志望の青年を中心とした群像劇。出演もしているパール・ジャムをはじめ、グランジ・ロック・ブームが燃え上がる瞬間を真空パックした貴重な作品に仕上がっている。そしてトム・クルーズが主演を務め、レネー・セルウィガーがブレイクするきっかけとなった『ザ・エージェント』(1996年)の監督兼脚本を手掛けたことで、クロウの評価はハリウッドで揺るぎないものになった。



そんな彼が初めて過去を振り返った作品が『あの頃ペニー・レインと』(2000年)だった。舞台は1973年。ストーリーは15歳の少年ウィリアムがローリングストーンからの依頼でロックバンドのツアーの同行取材を行うというもの。つまりクロウの半自伝である。

ウィリアムが恋するペニー・レインは、同名の女性やリヴ・タイラーの母でもあるビビ・ビュエルといった実在のグルーピーたち、バンドのリーダー、ラッセルはイーグルスのグレン・フライや本作の音楽も手掛けたピーター・フランプトンらがモデルらしい。

そんな本作だが、決して才能と運に恵まれたクロウの成功物語で終わっていない。思春期にロックンロールに触れたときにティーンの誰もが感じるであろう、五感が拡張していくかのような多幸感を、クロウはそれまでの青春映画で培った甘酸っぱいダイアローグとともにスクリーンに焼きつけているのだ。敬愛するビリー・ワイルダー監督の『アパートの鍵貸します』へのオマージュも効いている。新人発掘に定評のあるクロウ作品らしく、ここからもペニー・レイン役のケイト・ハドソン、ウィリアムの姉役のズーイー・デシャネルがスターになった。本作でクロウはゴールデングローブ賞作品賞(ミュージカル・コメディ部門)とアカデミー賞脚本賞を受賞している。

その後もクロウはトム・クルーズと再び組んだ『バニラ・スカイ』(2001年)、『エリザベス・タウン』(2005年)、シガー・ロスのヨンシーが音楽を手掛けた『幸せへのキセキ』(2011年)、『アロハ』(2015年)といった話題作を監督する傍ら、親交深いパール・ジャムやデヴィッド・クロスビーのドキュメンタリーを手がけるなど、ロック・シーンに関わり続けている。
文:長谷川町蔵

Translated by Masaaki Yoshida

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