80年代のUK音楽シーン最先端を目撃した、日本人フォトジャーナリストの知られざる物語

ロンドンでの取材と撮影の記憶

―ヤマモトさんはもともと早稲田大学で政治経済を学んでいたそうですが、そこからイギリスに留学して、現地でフォトジャーナリストになるまでの過程について聞かせてください。

ヤマモト:1974年、大学生の時にイギリスに来て、アートカレッジで油絵などを学び、写真も同時期に始めました。パンクが登場する少し前です。その頃にヨーロッパから中東、インド、ネパールを旅して一旦帰国しました。そこから大学で知り合い、ロンドンにも住んでいた野間けい子さんと、イギリス音楽専門の雑誌を始めようということになり、当時のインディー音楽誌ZIGZAGにコンタクトして、版権を交渉しました。1980年ごろに再度渡英し、若干一名の「ロンドン支局」でインタビューと写真、ZIGZAG本誌編集部との連絡、各レコード会社やバンドとのやりとりなど、全て私が担当していました。




Photo by Kishi Yamamoto

―その後、フォトジャーナリストとして仕事を手にするまでの過程や、軌道に乗るまでの経緯について聞かせてください。

ヤマモト:各取材でイギリスの音楽業界のコンタクトがひろがり、バンドのメンバーやレーベル担当者からフォトセッションを頼まれたり、撮った写真がイギリスの音楽誌に載ることもありました。ZIGZAG本誌に記事と写真、メロディーメイカー誌に写真が載ったと記憶しています。他ではバンドの広報写真を時々頼まれました。そもそもインディーの世界なので色々大変でしたが、なんとか続けることができたと思います。

―ヤマモトさんご自身は、どういった音楽に興味を抱いてきたのでしょう?

ヤマモト:イギリスの音楽が好きになったのは、イギリス派である野間さんの影響が強かったです。ロンドンに行く前はアメリカのウェストコーストの音楽を聞いていました。80年代のイギリスでは、ニューウェーブ・ロックやレゲエに感化されたアーティストなどが好きでした。コンサートや、クラブ、パブのパフォーマンスなどを多数チェックしていましたが、音楽だけでなく独創性のある、考え方が面白い人たちに惹かれました。

―後年、アフリカン・ヘッド・チャージ、ダブ・シンジケートなどでキーボードを演奏したり、作曲やアレンジにも携わっていたそうですが、ミュージシャンとしてのバックグラウンドもお持ちだったのでしょうか?

ヤマモト:子供の頃にピアノを習っていたので、音楽の基礎知識はありました。レコーディングがアナログからデジタルに移った時期で、プログラミングやスタジオでの録音はできましたが、ライブの演奏経験はないです。


ヤマモトが作曲、演奏にも参加したアフリカン・ヘッド・チャージ『Environmental Studies』収録曲「Dinosaur’s Lament」。アートワークの撮影/デザインも手がけている。

―当時、イギリスで多くのミュージシャンと交流されてきたかと思います。特に印象的なエピソードを教えてください。

ヤマモト:個性的な面白い人はたくさんいましたが、その中でもリー・ペリーは特におかしなおじさんでした。庭に生えている草木をシンセサイザーの横に置いてブツブツ念じたり、捕まえた虫と会話をしたり、わざとかもしれませんが奇妙な行動が多かったです。しかしスタジオではまともでした。

―ヤマモトさんが特に好きだった、もしくは影響を受けたジャーナリストや写真家は誰ですか?

ヤマモト:ペニー・スミス(ザ・クラッシュ)とアントン・コービン。ジャーナリストではNMEのニック・ケント、ZIGZAGの編集長クリス・ニーズの記事が気になりました。

―ZIGZAG EASTでの取材・執筆や撮影について、印象的なエピソードがあれば教えてください。

ヤマモト:思い出すのは、スリッツのリハーサル取材とインタビュー。ZIGZAG EASTで使ったと思います。ほかではアソシエイツ、マス(MASS)、スロッビング・グリッスルなど。気に入った写真で覚えているものは、バウハウスのライブ写真(正面上から撮ったショット)、イアン・マカロック(エコー&ザ・バニーメン)のステージ・ショット、マスの4人ショット(テムズ川沿いを歩いている写真)などです。

ライブ撮影では、ライシアムでのコンサートにいい組み合わせが多かったです。写真はステージ前下のオーケストラ・ピットになるのですが、興奮した観客が飛び込んできたり、ビールが飛んでくるのはしょっちゅうで、カメラバッグなど要注意でした。あとロンドン大学の学生組合ホールでも、新しいバンドをたくさん見ました。ここは講堂なので、写真は非常に取りにくく苦労しました。前述のバウハウスのコンサートはここだったと思います。


スリッツの当該記事、『ZIGZAG EAST』No.1より引用


バウハウスの当該記事、『ZIGZAG EAST』No.2より引用

―『ZIGZAG EAST』は、制作に関わっていたのが全員女性であったというのも気になっています。当時はスリッツやレインコーツといったバンドが「女性とDIY」にまつわる新しい道を切り拓いていた頃でもありますが、「女性だけで運営しているメディア」という部分については、ヤマモトさんも参加する際に意識していたのでしょうか?

ヤマモト:参加するというよりも、そもそも野間さんと私のアイデアから始まったもので、のちに野間さん経由で友達が参加したと記憶しています。私はロンドンに来てしまったので、詳しいことは野間さんに確認してください。

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