絶体絶命のウクライナ音楽シーン、カルチャーを破壊された当事者たちの怒りと絶望

ウクライナ独自のシーンが開花するまで

フォークであれパンクであれEDMであれ、2014年の尊厳革命以前からウクライナには数々の音楽が存在していた。最初は蜂起がどういう方向へ向かうのか誰にもわからなかったが、最終的に思いがけない幸運をもたらした――国にとってはもちろん、この国のミュージシャンたちにとっても。政権交代とほぼ時を同じくして、文化大臣はクリミア併合を支持するロシア人アーティストのウクライナ入国を禁止した。入国禁止リストの中にはロシアの人気シンガー20人の名前も挙がっていた(リンプ・ビズキットでさえも入国を拒否された。フレッド・ダーストの当時の妻がクリミア出身で、ダーストが地元当局に「プーチンは明確な倫理原則を持った偉大な人物、素晴らしい人物だ」という手紙を書いたためだ。ダーストは5年間ウクライナから入国を禁止された)。

ウクライナのプロモーターがロシア人アーティストをブッキングしたがらなくなり、多くの会場が地元アーティストたちに門戸を開いた。「他のアーティストの代わりを務めるチャンスが巡ってきたんだ」と言うポーターは、当時サイケデリック系のバンド5 Vymir(英訳するとFifth Dimension)でプレイしていた。「まだ若いバンドだったけど、突然大きな会場でやらせてもらえるようになった。半分しか埋まらなかったけどね。でも大きなステージで、ちゃんとした音響、ちゃんとした機材で演奏できた。観客もとても気に入ってくれたよ」

「成長の第一歩でした」と言うのは、ウクライナ随一のコンサートプロモーターで、チケット販売会社のオーナーでもあるロスチスラフ・クリク氏だ。「制作側も新しいサウンドシステム、新しい照明機材、新しいテクノロジーを取り入れるようになりました」



アンダーグラウンドミュージック専門サイトNeformatを運営するヤリナ・デニシュウクさんいわく、ウクライナにも革命以前から「良質なスクリーモやハイクオリティのスケートパンク」など価値ある音楽があったそうだ。だが彼女の言葉を借りれば、「革命の後、人々は自分たちの言葉、民族の伝統、音楽、国全体を称賛するようになりました。自分たちはロシア世界やロシア文化、ロシアのバンドの一部だと考えるのを止めたんです。自分たちのアーティスト、自分たちの独自性があちこちで開花してゆきました。その前に素晴らしい音楽がなかったわけではなく……昔よりずっとウクライナ人はもちろん、海外の人たちの目にも留まるようになったんです」

「パラドックスでもあるよね」と言うブレナーは、生活のためにwebアプリケーションのテスターとして働き、Kat以外に2つのバンドをかけもちしている。「プーチンとロシア政府は僕らのことを嫌っていて、この世からいなくなってほしいと思っている。でも同時に、この国や国の気質を作ったのは彼らなんだ。2014年以前は、僕も含め大勢がただ毎日をやり過ごすだけだった。こういうことが起きてから意識が変わって、自分たちのアイデンティティを模索し始めた。それが音楽にも影響を与えたんだよ」

2014年以降、ウクライナでは独自のフェスティバルやインディーズレーベル(定評のあるDJ兼プロデューサー、ドミトリ・アフクセンチエフが運営し、キエフのテクノクラブにちなんで名づけられたStandard Deviationなど)、ライブハウスが次々と誕生した。キエフのクラブStereo Plazaには5000人のファンが詰めかけ、家具倉庫を改造したCloserでは夜な夜なDJやエレクトロミュージックの重鎮が顔を揃える。昨年夏には、かつて兵器工場だった国立アートセンタービルに新たなテクノクラブArsenal XXIIがオープンした。



この1年半はおもにロンドンを拠点とし、最近キエフに戻ってきたばかりのコナコフは、とくにEDMが全盛期を迎えていると感じている。「ウクライナのEDMは独特なんだ。ダンスフロアが独特の雰囲気だからね」と彼は言う。「単にクラブに行くだけじゃなく、警察や汚職、人権、自由に対する自分の立場を表明することでもある。ウクライナのダンスフロアは楽しむだけの場所じゃないんだよ」。コナコフの2021年のシングル「Dance Before Your Death」は、新型コロナウイルスや戦争の前に書かれたとはいえ、まるで未来を預言していたかのようなタイトルだ。

ポーターいわく、この8年間に現れた大量の音楽は、ウクライナ人の頭上にダモクレスの剣が大きくのしかかっていることの表れでもある――ロシアが何らかの手段で、また戻って来るのではないかという恐怖だ。「それが僕やバンドや音楽仲間の主な原動力だったんじゃないかな」と彼は言う。「明日には全て終わってしまうかもしれない、という思いがある。だからできる限りたくさん、それもできるだけ早くやらなくちゃいけなかった」

Translated by Akiko Kato

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