菅田将暉が語る、ものづくりの原点

プレイヤーと作り手側

ー菅田さん自身はコラージュの糊でもあり素材でもある、ということですよね。俳優活動も音楽活動もいろいろと拝見していると、たとえば出演していなくても主題歌だけを担当されていたり、逆に菅田さん主演の作品にはご自身の主題歌ではなかったりとか。ということが結構、自由自在に見えますけど、その辺りで意識されていることはありますか?

菅田 基本的に“自分が出演している作品で自分が主題歌”というのは恥ずかしいというか。なんかそこを……なんていうのかなあ、不自然に僕は感じてしまうので。でもなんか、必然的にそうなる時もありますしね、「うたかた歌」とか「糸」とか。でも、なんかそういうものはなるべく自分発信ではなく、僕のこの恥ずかしさを押し殺すくらいの何らかのパワーでやりたいって方が現れない限りは、やらないつもりではいますね。

ーそれは、バランスが不自然に感じる、ということなんでしょうか?

菅田 まあそうですねえ……。自分が映画館で映画を観たときに、ただでさえ自分が出ているのって少し違和感があったりもするので、これでまた同じ声なんだけど登場人物とは全然違う客観性で歌われる自分の声を聞いたときに、急に現実に戻される感じに自分が耐えられなくて。それがね、僕も好きな福山雅治さんや星野源さんみたいに自分でちゃんと曲をゼロから作っていたらいいんだけど、そうでもない。なんか、ただただ出たい奴みたいになってもちょっと違うなあって。

ー何かひとつ素材があったとき、他の人がそこに乗っかってくれたり自分も乗っかれたり、ということが、菅田さん的にすごく楽しい、っていうことですかね。いつも菅田さんの周りにはそういう雰囲気が溢れているなと思うので。たとえば友人でもある仲野太賀さんを主人公にして菅田さんはご自身のMV を初監督されたけれども、太賀さん自身も写真を撮る人ですし。プレイヤーと作り手側どちらもやりたい、というような意図がありますか?

菅田 うん、なんかそういう性分なんでしょうね。人を引き合わせたり。あとは本当に、プレイヤーと裏方みたいな感覚が、みんな無い。僕らの感覚的にはこの世界入ったときから既に両方やっている人が多いから。あとまあ、太賀を撮ったあのショートフィルム(『クローバー』)も、同じような遊びは昔からやってたんですよね。写真撮ったりもそうですし、本当に高校卒業したくらいの、出会った頃からずっとやっていて。ただ、同じような遊びのクオリティが上がっている、っていうだけ。どっちが先か、っていうのはあんまりないですね。でもたとえば太賀が撮る写真とかを見ても、やっぱり太賀が身近な人を撮っている写真が、結局、一番いいんですよ。お父さんを撮った写真とかね。お芝居もそうですが、目の前にいる相手とか、現場にいる人に対してのストレスが無い状態での役者の顔っていうのが、たぶん僕らは好きで。なるべく作らなくていい状況での役者とかこの被写体を見たいっていう気持ちが、たぶん役者は、より、あるんだと思いますね。

ーその差がより繊細にわかるからこそ。

菅田 そうですね。たとえばアラーキーの『センチメンタル・ジャーニー』とか。奥さんと新婚旅行で撮ってきた、なんて、そういうものには勝てない。結局、僕らは「お芝居をやろう」って言われ、表現として伝えることはできても、やっぱりリアルには勝てないし、そこは戦うものじゃないという感覚があるからこそ。だから今回の『COLLAGE』っていう作品も、僕、菅田将暉っていう人が音楽活動をする上で、ある意味でいちばん「ぽい」なと思うのが、このアルバムって、そんなにめちゃくちゃ儲かるってわけでもないはずなんですよ(笑)。

ーいやいや(笑)。さすがに“儲からない”は、無いと思いますが。

菅田 はははっ。でも本当に、何かのタイアップのためというような目的でやっていない。でもそういうことしたいじゃないですか? 何かのためにとかじゃなく“やりたいからやる”みたいな。“歌いたいから一緒に歌う“みたいなことって、すごく僕は大事だなと思うから。それを許していただいているのは本当にありがたい限りなんです。でもそういう意味の無い熱量から始まるものを大切にしたいです。自分としては、そのへんがいちばん楽しませてもらっているともいえます。楽しめればオッケーという、ものすごく緩いルールでやらせて頂いているので。

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