「ジャズ」という言葉を葬ろう シオ・クローカーが語るレッテルと黒人差別の歴史

 
「Jazz Is Dead」を掲げた真意

―ここからが今日の本題で、このアルバムの核となっている「Jazz Is Dead」について深く聞きたいです。この“ジャズは死んだ”、もしくは“ジャズを殺す”というのはどういうことか、あなたの言葉で聞かせてください。

シオ:(ジャズと呼ばれてきた)この音楽をすごく愛してきたし、僕は25年間にわたって演奏し、祖父であるドク・チータムは85年間もそれに仕えてきた。それでもジャズという言葉は、弊害しかもたらさなかったと思っている。音楽に対してもそうだし、この言葉が用いられることで、限られたごく少数の「死の床に伏してる」アーティスト以外はずっと苦しめられてきた。アメリカに限って言えば、演奏できる会場の種類も、会場に観に来てくれる、音楽を聴いてくれるオーディエンスも限定されてしまう。ジャズという言葉がくっつくと、大抵の人々がそこでもう聴くのをやめる。ということはつまり、マスター(原盤)の権利を持ってなかった故人のカタログが競争相手になるんだ。マイルスもコルトレーンもジャズという言葉を嫌っていたにも関わらず、そのカテゴリーに置かれ、ジャズにされてしまっている。死人に口なしだからだ。

僕は自分自身のキャリアにおいて、その段階は終わったと思っている。ジャズの権威やコミュニティに対して、沈黙して、彼らを喜ばせ、へつらうようなことはもうしない。このアートフォーム/音楽は常に(ジャズという)「あの言葉」よりも大きかった。僕の家族のレガシーも「あの言葉」より大きかった。もうこれ以上、ジャズという言葉に限定されるような低いレベルに関わる必要性を感じないんだ。



―なるほど。

シオ:でも、(ジャズと呼ばれている)音楽自体はまったく別だよ。音楽は今も生きているし、成長してる。僕は演奏し続けながら、音楽と伝統を発展させるため、これまで与えられた以上のところを目指したいと思っている。でもそうやって限界を押し広げ、音楽の一部であり続けるのであれば、その音楽が言葉によって限定されてしまうのを見たくないんだ。

ただ例えば、もう何年も行ってないけど……日本やヨーロッパでは、ジャズという言葉に込められた意味合いが違う。アーティストや音楽に対して、アメリカとは違うリスペクトがそこにはあり、受け入れられている。その他のポピュラー音楽と同じレベルで評価され、勢力を誇っているように映る。つまり、軽んじられているのはアメリカだけってこと。それはアメリカの文化を反映しているってことでもあると思うけど、僕はカルチャーの専門家じゃないから、そこら辺はあまり深くは語れないけどね(笑)。だって僕の意見は、僕の37年の人生経験を反映したものでしかないわけだから。

さておき、今のアメリカで「ジャズ」と呼ばれているものは、元々それを作ったアフリカン・アメリカンのコミュニティと繋がっていないし、そのコミュニティを支えるものでもない。むしろ、(ジャズという)言葉を与えることで、それを差別し、その音楽を生きるための手段として使っていた人々から奪ったんだ。僕ら(アフリカン・アメリカン)は人生の荒波に耐え、生き抜くため、音楽で自分を表現した。でもコミュニティからジャズは奪われ、博物館に置かれる作品にされ、ブラック・ネイバーフッドでもなんでもないセントラルパークのど真ん中に置かれ、ごく少数の大学で教えられるカリキュラムにされてしまった。同じことがヒップホップにも起きている。そもそもジャズがそんなことになってしまったから、僕らのコミュニティはターンテーブルとマイクを使って「ジャズ」のレコードをかけて、そこからヒップホップが生まれたわけだよね。そんなふうに、音楽へのニーズは形を変えて続いていくものだ。だからこそ、ジャズって言葉はもう死んだと言っていいんだよ。

―ジャズは元々“Jass”という綴りで、それ自体、差別的な意味を持っていた言葉でした。そのことはあなたも何度か言及しています。だから、アフリカン・アメリカンのミュージシャンの中には“ジャズ・ミュージシャン”と呼ばれたくないと言っていた人も多かったんですよね。

シオ:その通り。ジャズという言葉は、今も昔も侮蔑的な用語だ。その言葉を加えることで、アートフォームの価値は損なわれてしまった。デューク・エリントンはそう呼ばれることを嫌い、拒んだ。マイルス・デイヴィス、チャーリー・パーカー、チャールス・ミンガス、ルイ・アームストロングですら「モダンジャズが何かなんて俺にはわからない。教えてくれ。お前らがつけた肩書きだろう。俺がやってるのは音楽だ」と答えている。

人種、社会、経済的なことを抜きにしても、ここで問題なのは、ジャズって肩書きを与えることで「ありがたみ」のあるものに仕立てあげ、その一部になりたい者は、「最低限」を受け入れなきゃならなくなる点だ。他の音楽はそんな目に合わなかったが、ジャズだけはそうだった。そしてジャズから派生したヒップホップやR&Bも生まれた途端、ジャズと同じように、できうる限りネガティブなレッテルを貼られ、反抗的なメッセージが取り沙汰された。それは当然だ。そもそも十分に社会の恩恵を受けられず、リスペクトされないアメリカのブラック・ピープルのニーズから生まれた音楽だったからね。大衆を楽しませる娯楽だけでなく、自らを癒し、解放感や自由を見出すためのものでもあったわけだから。それを取り上げて、フランク・シナトラと同じようにスーツとネクタイを着せ……シナトラ自体は素晴らしいアーティストだとは思うが、博物館や大学に入れても、それはもう過去の産物となってしまい、今の社会やコミュニティに影響を与えるものではなくなってしまう。僕が問いただしたいのは、あくまでも(ジャズという)言葉そのもの、含意、言葉をマーケティングすることで成り立つ業界のことであり、ミュージシャンや音楽そのもののことではないんだ。

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―あなたと同じようなことを考えていた人は、これまでにもいましたよね。マイルス・デイヴィスは自分の音楽を「ソーシャル・ミュージック」、リー・モーガンは「Black Classical Music」と呼んでいましたし、もう少し最近ではニコラス・ペイトンが「Black American Music」を提唱しています。

シオ:そのどれもが、この音楽の何たるかを説明するのにふさわしい言葉だと思うよ。僕自身にはなんと呼ぶのが正しいなんて答えはないし、それに代わる名前を探すことを自分の運命や使命だとも思っていない。もし自分にマーケットをコントロールするだけの能力や権力があるなら、ラップ、ヒップホップ、R&B、ハウス・ミュージック、ダンス・ミュージック、人がジャズと呼ぶもの、ワールドミュージック……それらすべてを「ブラック・ミュージック」にしたいね。だって、それが事実だから。

―「ブラック・ミュージック」ですか。

シオ:そう。僕だったらローリング・ストーンズだって、ブラック・ミュージックの傘下に入れる。彼らがやってたのはハウリン・ウルフであり、マディ・ウォーターズなのであって、それを本人たちも公言してる。アーティスト側はわかってるんだよ。自分に嘘をついて、リスナーを騙そうなんて思っちゃいない。マーケティングのゲームがそうするだけ。僕はそれを指摘したい。ニコラス・ペイトンと一緒だよ。僕は会話を続けたいんだ。君が挙げた例はどれもその通りだと思う。実際、(ジャズは)ソーシャルな音楽だよ。ミュージシャン同士が一緒になって演奏し、コミュニケートしなきゃならない民主的な音楽だからね。すべての音楽がそうだ。ジャズと呼ばれる音楽はそのなかで最も民主的だと言われるけど、他のミュージシャンと協力しないで作れる音楽なんてどこにもない。DJは例外かもしれないが、DJにしたって自分と仲良くやらないとね(笑)。

ある時期にアメリカから生まれた音楽は、すべてブラック・ミュージックなんだよ。ブラック・ミュージシャンたちが、自分の置かれた状況下で作った音楽に影響を受けた音楽だ。それはコミュニティの一部だった。今は、どのコミュニティもアイデンティティや目的意識に乏しく、苦しみ、自分たちの価値への理解や知識が欠如していると思う。アメリカという国の大きなカルチャー自体の問題だ。音楽はそれに比べたら大したことじゃないのかもしれないが、その一部であることには変わりなく、切り離せるものじゃない。だからこそ、僕らは今、アーティストの立場でストーリーをコントロールし、対抗して声を上げて、議論や対話を始めなきゃならない。そうしないと、40〜50年後、彼らの好きなようにされてストーリーを捻じ曲げられてしまう。マイルス・デイヴィスがすでに「ジャズ」という言葉の下に置かれてしまっていることを考えれば、彼の顔が違う色に塗られる可能性だってありうる。紫色に塗られてしまうかもしれないんだ。だから、「ジャズじゃなくてこう呼ぼう」と言って先に進むという単純なことじゃなく、対話を続けるってことだ。「どうしてそうなったのか」を理解すれば、「今後どこへ行くか」に少なくとも影響を与えることはできる。

Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

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