追悼デヴィッド・クロスビー 生涯最後のステージを振り返る

デヴィッド・クロスビーが伝説的存在になった理由とは?

この両者が初めて会ったニューポート・フェスで、クロスビーはイズベル率いるバンドの「Ohio」とCSNの「Wooden Ships」に参加した。ロックの殿堂入りを果たしたクロスビーは、その後も何度かイズベルとギグを行い、イズベルによる2020年のアルバム『Reunions』収録の「What’ve I Done to Help」と「Only Children」に唯一無二のハーモニーを添えている。クロスビーはそのとき、同作のプロデューサーであるデイヴ・コブのミキシングコンソールにも乗り込んできたという。

「デイヴはちょうど新品のAPIコンソールを買ったところで、人生で初めて見た新品のコンソールだったんだけど、(クロスビーが)入ってきて座って、コンソールの上に大きな葉っぱの袋を放って、ジョイントを巻き始めたんだ」アイベルはそう述懐する。「彼はマリファナを吸って、一緒に歌った後、ソファに横たわって眠っていたよ」

このような素直な性格が、クロスビーの持ち味だった。イズベルは、大きな声の持ち主であるクロスビーを「肺活量90パーセント」と表現しつつ、このシンガーソングライターの遺産を定義するのは、正直さと勇気だと語っている。

「デヴィッドのルールその1は、正直であることだった。彼が誰かを褒めたとすれば、それはデタラメではなかった」とイズベルは言う。「彼は、ニール(・ヤング)やジョニ(・ミッチェル)のような偉大な仲間にさえも挑戦する人だった。彼は、音楽的なコンフォートソーンでないところに挑戦する人だった。ギターの音に飽きたら、誰も試したことのないようなチューニングに変えてみたり。ハーモニーのパートに飽きたら、誰も予想しないような音を歌ってみる。歌ってみて、もしチューニングが狂っていたら、できるだけ早く修正する。彼はただ真実を語り、その結果については後で対処するようにしていた」

From Rolling Stone US.

Translated by Rolling Stone Japan

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