ジャクソン・ブラウン来日公演を目撃すべき8の理由

ジャクソン・ブラウン

 
現役で勢力的に活動を続けるシンガー・ソングライター、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)が6年ぶりに来日、3月20日の大阪から広島、名古屋、東京を回る。昨年でソロ・デビュー50周年の節目を迎えた彼の足跡を改めて振り返りながら、開幕目前のジャパン・ツアーに備えたい。



1. ロック・メディア、同業者が認める赤心の詞世界

2015年、米ローリングストーン誌によって〈史上最も偉大なソングライター100人〉の一人に選出されたジャクソン・ブラウン。同誌は2012年に発表した〈歴代最高のアルバム500選〉リストにも、『フォー・エヴリマン』(1973年)、『レイト・フォー・ザ・スカイ』(1974年)、『プリテンダー』(1976年)と3枚も彼の作品を選んでいる。

2004年、ジャクソンがロックンロール・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りした際、スピーチを披露したブルース・スプリングスティーンは、「ジャクソンは自分が言うこと、曲のテーマについて、よく考えることの大切さを教えてくれた最初のソングライターのひとり」と激賞し、「プリテンダー」「青春の日々」「フォー・エヴリマン」「アイム・アライヴ」「悲しみの泉」「孤独なランナー」「ダンサーに」「ビフォー・ザ・デリュージ」と次々に曲名を列挙。さらに、「最も美しい別れの音楽、傷心の音楽」として、「スカイ・ブルー・アンド・ブラック」「リンダ・パロマ」「シェイプ・オブ・ア・ハート」を挙げてもいる。





2. 誤解された「テイク・イット・イージー」

また、ブルース・スプリングスティーンは同スピーチで、イーグルスが最初にジャクソンの曲を大ヒットさせたことにも触れ、「きっとドン・ヘンリーも同意してくれると思うけど、ジャクソンが彼らに提供した曲は、彼らが書きたいと思う曲だったはずだ」と自論を述べた。

イーグルスの出世曲となった「テイク・イット・イージー」(1972年)は歌詞が楽天的過ぎると批判されることもあった。『フォー・エヴリマン』に収められた自演ヴァージョンを聴くと、陽気な人生賛歌とは異なる、拭いようのない陰影を読み取れるはず。イーグルス版「テイク・イット・イージー」の快活な印象に囚われてあの曲を批判した人の多くは、「気楽に行こう」という言葉の背景にある痛みを見落としていたのではないか。ヒッピー幻想の終焉、出口が見えないまま長期化していたベトナム戦争がもたらす疲弊感……そうした70年代前半のアメリカの世相抜きでは決して語れない曲だし、だからこそこの曲は大衆の心を掴んだはずだ。





3. 世代を越えて聴き継がれる『レイト・フォー・ザ・スカイ』

先述のスピーチで、ブルース・スプリングスティーンは『レイト・フォー・ザ・スカイ』について、「70年代、ベトナム戦争後のアメリカで、ジャクソンの傑作『レイト・フォー・ザ・スカイ』以上に、エデンからの転落、60年代の長くゆっくりとした余韻、心の傷、失望、使い果たした可能性を捉えたアルバムはなかっただろう」と語っている。タイトル曲に象徴されるように、私小説的な手法で綴られたこの痛みに満ちたアルバムは、今や同世代に限らず、広く聴き継がれる“生きた古典”となった。

近年ジャクソン・ブラウンと親交を深めているフィービー・ブリジャーズは、2018年にロンドンのオンラインメディアThe Line of Best Fitの企画でお気に入り曲を挙げた際、『レイト・フォー・ザ・スカイ』から「ダンサーに」を選んだ。母親の影響でジャクソンを聴き始めたというフィービーは、この曲について「とても悲しい曲で、死がテーマだけど軽々しく扱っていない」「12歳の私になんだか響き、大人になっても心に残っている曲」とコメントしている。

フィービーと同世代のあいみょんは、「影響を受けたアーティスト」のプレイリストに「レイト・フォー・ザ・スカイ」を選んでいる。父親の影響で聴き始めた浜田省吾の「初恋」の歌詞でジャクソン・ブラウンを知り、彼の作品を愛聴するようになったそうだ。

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4. 政治的、社会的なテーマに取り組む姿勢

しかし『レイト・フォー・ザ・スカイ』に代表される内省的な表現のみにジャクソンは止まらなかった。反原発運動を支持して、ベネフィット・コンサート『ノー・ニュークス』に出演したのが1979年。そして80年代半ばからは、政治的、社会的テーマをより積極的に取り上げるようになっていく。1985年には南アフリカの人種隔離政策に抗議するオールスター・シングル「サン・シティ」にも参加した。

1983年の『愛の使者』(Lawyers In Love)で米ソの第二次冷戦を風刺的に取り上げてはいたが、次の『ライヴズ・イン・ザ・バランス』(1986年)では、ニカラグアの反革命武装勢力、コントラを支援して内戦を悪化させたレーガン政権への怒りがはっきりと表明された。引き続き社会的テーマに取り組んだ『ワールド・イン・モーション』(1989年)でカバーしたリトル・スティーヴンの「アイ・アム・ア・ペイトリオット」は、ナショナリズムとは異なる立場から愛国心について語る曲で、今もライブで歌い続けられている。


 
 
 
 

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