音楽はきみを傷つけない:ジョージ・クリントンが陰謀論とフェイクニュースの時代に授ける教え

ジョージ・クリントン

 
ジョージ・クリントン&パーラメント/ファンカデリック(George Clinton & PARLIAMENT FUNKADELIC)が「LOVE SUPREME JAZZ FESTIVAL JAPAN 2023」初日・5月13日のヘッドライナーを務めるために来日決定。5月10日〜12日に東京、15日に大阪のビルボードライブで単独公演も行われる。

70年代に黄金期を迎えたPファンクは、後年のブラックミュージックに絶大な影響を与え、そのDNAはドクター・ドレーからケンドリック・ラマー、シルク・ソニックにまで受け継がれている。パーラメント/ファンカデリックという二枚看板を率いた総帥ジョージ・クリントン。フェイクニュースと陰謀論にまみれたこの時代を生き抜くヒントを、「クリントニアン」を自称する編集者の若林恵(黒鳥社)が読み解く。

※2023年5月2日追記:ビルボードライブ公演のチケットプレゼント実施中、詳細は記事末尾にて



腐っていく時代のサウンド

コロナ期間中の2021年には野外フェスの開催を巡って、いろんな意見が飛び交いましたが、実は音楽フェスの先駆けである1969年のウッドストックも、最終的に100万人の命を奪ったとさせる香港インフルエンザが猛威を振るうさなかに行われたそうなんです。もう少し正確に言うとウッドストックが開催された1969年8月は、アメリカ国内では第1波と第2波のちょうど谷間にあたる時期でして、主催側はパンデミックが終わったとして、さほど危機感もなくイベントを開催したそうですが、同年11月に第2波が襲来し、あとになってから冷や汗をかいたと関係者は回想しています。とはいえ、会場には10数人の医師が配備されてはいまして、プロデューサーのマイケル・ラングは香港インフルエンザに言及していないものの、それが「大規模な集会におけるウイルス性の風邪や肺炎の拡散という潜在的脅威」に向けた対応だったことを当時の取材で明かしています。というのは、ただのトリビアでして、だからなんだよという話ではあるのですが、Pファンクを語る上でウッドストックは欠かせないものですので、一応お伝えしてみました。

Pファンクの首謀者であるジョージ・クリントンは、実はジミヘンより1歳年上なのですが、どんぴしゃのウッドストック世代というよりは、どちらかといえば遅れてきた人でして、ジミヘンの音楽などに非常に大きく影響を受けたとはいえ、そのムーブメントの当事者であるというよりは、どこか傍観者のように、かなり冷めた目でその熱狂を見ていたと言います。彼は自伝『ファンクはつらいよ』(DU BOOKS)のなかで、「ぼくらがシーンに入って行った時にはすでに思想が崩れ始めていた」と語っています。彼らがデビューしたときには、すでにムーブメントは限界に達し、崩壊し始めていたと彼は言うわけです。

こんなことを言うとクラシックロック信者には怒られそうですが、ウッドストックってあとから見るとやっぱり白人中産階級の若者の祭典で、その階級をいかにマネタイズして、いかに音楽産業を巨大化するかの道筋を大きく開いたものでもあったように感じます。ちなみにクリントンは、こうしたビジネスのありようを「混沌によって金儲けをする」という言い方をしています。

のちにイーグルズが「ホテル・カリフォルニア」で歌ったように、ウッドストックへとつながる反戦運動やヒッピームーブメントが極めて影響力の大きいものであったことは疑いないにしても、そこで見出された希望が、ウッドストックを境にして幻滅へと反転していったことはよく言われます。ジョージ・クリントンが率いたパーラメント/ファンカデリックというふたつのバンドの船出を、この幻滅が直撃していたことはとても重要で、というのも、それが双方のバンドを違ったやり方で長らく規定することになるからです。彼はデビュー当時目にした状況をこう語っています。

「誰もが60年代の理想主義に何が起こったのかと疑問に思う。俺からすると、あの理想主義は、ほぼ完璧な形で成熟した後、発酵しはじめた。ウッドストックが終焉だった」


ジョージ・クリントン(Photo by Richard E. Aaron/Redferns)

ジョージ・クリントンは1941年生まれ、14歳のときにニュージャージー州で床屋をやりながら、ドゥーワップのコーラスグループを結成したと言われています。60年代にモータウンのソングライターだった時期を経て、世界を席巻したビートルズやジミヘンなどのサイケデリックロックに感化されて、反体制・反社会的なものに傾斜し、ウッドストックの翌年の1970年に、パーラメントとファンカデリックというふたつのバンドをそれぞれデビューさせました。

ともに当時の時代性を反映したサイケデリックなブラック・ロックですが、パーラメントがゴスペルやR&Bの様式を踏まえたそれなりにアクセシブルな内容であったのに対して、ファンカデリックは、ドロドロの即興演奏が延々と続くようなダークかつ混沌としたもので、そのサウンドこそが、すなわち「発酵期」に入った時代に対するクリントンなりの応答だったわけですね。

「発酵」、つまり「腐る」というモチーフは、ファンカデリック1971年の傑作『Maggot Brain』(蛆虫脳)ではメインの主題としてさらに重要性を増し、「宇宙の頭に湧いた蛆虫を味わう」が本作のコンセプトとなっていますが、ウッドストック以降の状況を「全てが緩みはじめ、新たな境界線が引かれるよりも速く、古い境界線が崩れていった」とするクリントンのことばは、弛緩してドロドロに液状化した初期のファンカデリック・サウンドと見事に対応しています。

のちにジョージ・クリントンは、1978年のファンカデリックのアルバム『One Nation under a Groove』で12分にわたる壮大なスロージャム「Promentalshitbackwashpsychosis Enema Squad (The Doo Doo Chasers)」を披露しますが、ここでのテーマは「下痢」でして、これも先の「Maggot Brain」同様、「全てが緩んでいる」状態の見事な描写になっています。歌詞にある、「世界は公衆便所だ/人間の口は神経学的な肛門であり/心理学的に言うなら/メンタルな下痢を患っている」という一節を読むにつけ、これは何も過去の話ではなく、SNSのなかなどで、いままさに起きていることじゃんか、と思わされてしまいます。


(上)ファンカデリック:『Maggot Brain』『America Eats its Young』『Standing on the Verge of Getting it On』『One Nation under a Groove』
(下)パーラメント:『Osmium』『Mothership Connection』『The Clones Of Dr. Funkenstein』 『Funkentelechy vs. the Placebo Syndrome』

ファンカデリックの音楽に、いまなお現在性があるのだとすれば、クリントンが、「希望」というもののあとに来る発酵、腐敗、弛緩に、興味の焦点を置いたところにあるのかもしれません。加えて彼は、それを一方的に醜いものだというふうには考えず、腐敗もまた人間、もしくは生命というものの本質なのだと考えていた節があるのも、案外いまっぽいところかもしれません。「腐敗」に注目したことによって、いまっぽく言うなら「サーキュラー=循環的」な視点が、どことなく感じられるんですね。

これは、ファンクという音楽が、延々と同じフレーズやビートを1コードでループし続けることと関わっているのかもしれず、そういえばどこかでクリントンは、「延々と同じことを繰り返す退屈さの先に聖なる瞬間が訪れるのだ」といったことを言っていたような気もします。

Editorial Support = Yasutomo Asaki

 
 
 
 

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