デペッシュ・モードが語る、最新アルバム『Memento Mori』と盟友の死

Photo by ANTON CORBIJN

 
デペッシュ・モード(Depeche Mode)の通算15枚目となる最新アルバム『Memento Mori』が、全英チャート2位を記録するなど世界中で絶賛されている。昨年5月に共同創設者のアンドリュー・"フレッチ"・フレッチャーを失ってから初の作品について、デイヴ・ガーンとマーティン・ゴアの2人が米ローリングストーン誌に語った(※『Memento Mori』日本盤は5月3日発売予定、US版記事は昨年10月初出)。

世界がパンデミックの真っ只中にあった頃、デペッシュ・モードのメンバーはコロナ禍がもたらした甚大な喪失に向き合うと同時に、生きていることを当たり前だと捉えないよう努めていた。フロントマンのデイヴ・ガーンと、シンガー/マルチ奏者のマーティン・ゴアの2人がバンドの15枚目のアルバムの歌詞を書いていた時に、繰り返し頭に浮かんだのはその2つのテーマだった。そのアイデアを反映して、2人は同作を『Memento Mori』と名付けた。

「(Memento Moriは)『自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな』という意味だ」。同作の発表記者会見が行われる数日前に、ベルリンに滞在していたガーンは電話での取材でそう語った。「このアルバムの曲の多くが、その考え方に基づいている。残された時間は限られていて、俺たちはそれをできる限り前向きな何かに費やすべきなんだ」。ゴアはラテン語のその警句を、ある友人から教わったという。「既に書き上げていた曲のイメージにぴったりで、アルバムのタイトルとして申し分ないと思った」



過去のいくつかの作品がそうだったように、アルバム制作中に浮かんだその言葉は常に頭の片隅にあり、結果的にタイトルとして採用されることになった。現在ロンドンで、プロデューサーのジェームス・フォードとマルタ・サローニが仕上げの作業を進めている同作は、2023年3月に発売される。またバンドは、3月23日のサクラメント公演を皮切りに、北米各地のアリーナを回るMemento Moriツアーを開始する。

スタジオ入りする前まで、その言葉はガーンとゴアにとってより大きな意味を持っていた。2020年5月26日、デペッシュ・モードの結成メンバーのひとりであり、1980年以来シンセサイザーとベースを担当してきたアンドリュー・"フレッチ"・フレッチャーが、腹部大動脈瘤破裂によって逝去した。フレッチの死後、タイトルの変更について考えたかと訊ねると、ゴアはこう答えた。「逆だね、むしろ確信した」

「アルバムに収録される曲は全部、アンディの死後に急ピッチで作られたものだと思われるだろうね」とゴアは続ける。「でも実際には、アルバムの制作はその前から予定されていて、レコーディングの準備も整っていた。俺たちとスタジオに入るのを、アンディは本当に楽しみにしていた。だから俺は、このmemento moriという言葉を『悔いが残らないよう、毎日を精一杯生きる』っていう、より前向きな意味で捉えているんだ」

「フレッチ抜きでこういう場に出るのは、これが初めてだ」とガーンは話す。「フレッチが亡くなった時に、俺たちはすべての曲を既に書き上げていた。それでも、あんなにも重大な出来事が起きれば、楽曲に影響が現れるのは当然だ。曲は形を変え、歌詞はそれまでとは違う意味を持つようになる。これらの曲のボーカルを録った時、いろんなことが頭に浮かんでいたけど、フレッチのことをよく思い出していたのは間違いない」

2人は現在でも、長年活動を共にしたメンバーの不在を実感できずにいる。「いつだって別れの言葉を伝えられるとは限らない」とガーンは話す。「フレッチの死はあまりに突然だった。マーティンと俺は教会の長椅子に並んで座り、フレッチがもういないという事実に呆然としていた」

「親友を亡くすことの辛さは、言葉にするまでもない」とゴアは話す。「俺たちはバンドを始めるずっと前から友達だったし、いい時も悪い時も含めて、あらゆることを共有してきた。その分だけ喪失感も大きいんだ」

それでもゴアは、フレッチがデペッシュ・モードの継続を望んでいるはずだと信じている。「フレッチがこのバンドを繋ぎ止めていたんだ」と彼は話す。「自分の死がバンドを終わらせたと知れば、彼は絶対に悲しむはずだ」



ガーンとゴアは今、フレッチの死によって失われたものの大きさを実感している。大胆かつドライなユーモアのセンスの持ち主だったフレッチは、ガーンとゴアの役割が明確である(ガーンはシンガーであり、ゴアは楽曲の大半を手がけている)のに対し、自分の役目は「2人のそばをウロチョロすること」だと話していた。だが2人は、フレッチは自分で思っていたよりもずっと、デペッシュ・モードにとって重要な存在だったと話す。

「アンディが亡くなった後、彼がこのバンドにとってどれほど大きな役割を担っていたのかを再認識したんだ」とゴアは話す。「デイヴと俺は決して社交的な方じゃないけど、アンディはそうだった。人前に出る時なんかは、(フレッチが)積極的に人に話しかけてくれていたおかげで、俺たちは隅っこの方で隠れていられた。40年間活動を共にしているけど、アンディが亡くなったことで、俺とデイヴの絆はこれまで以上に固くなった。そうじゃなきゃいけなかったんだ。繰り返しになるけど、アンディがこのバンドを繋ぎ止めていたんだ。俺たちを結びつけて、離れないように支えてくれていたんだよ」

ガーンとゴアがアルバム制作のために一緒にスタジオに入ったのは、7月に入ってからのことだった。もしフレッチが制作に参加していれば、「死ぬとかいうのやめようぜ」とジョークを飛ばしていただろうとガーンは話す。「スタジオに行くたびに、彼のそういうところを懐かしく思ってた。マーティンもそうだったはずだよ。俺たち2人とも、今も彼がそばにいるように感じていた」

Translated by Masaaki Yoshida

 
 
 
 

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