cero『e o』クロスレビュー 革新的であり続けるバンドの現在地

 
2. 「3人だからこそ生まれる音楽」の比較対象
金子厚武

「現在のceroの国内の音楽シーンにおける立ち位置についての記事を書いてほしい」という依頼を受けてこの原稿を書いているのだが、これがなかなかに難しい。過去を振り返れば、これまでのceroの歩みは何らかのシーンやジャンルとの関連で語ることができたように思うが、5年ぶりとなる5作目のオリジナルアルバム『e o』という作品は、そういった文脈から抜け出し、ceroというバンドの核を抽出したような作品だからだ。

今から10年以上前、2011年に『WORLD RECORD』を発表した際のceroは、SAKEROCKやYOUR SONG IS GOODらに続くカクバリズムの新世代であり、いわゆる「東京インディ」を引っ張る存在と目されていた。そこから『My Lost City』でさらに存在感を高めた上で、『Obscure Ride』でネオソウルへと接近したことは結果的にその後のシティポップの大波を生み出すことになる。ここでその波に自ら乗っていくのか、別のルートを選ぶのかはバンドにとって大きな岐路だったように思うが、Suchmosのようなバンドがオーバーグラウンド化していく中でさらなるリズムの探求へと向かい、アフロからテクノまでを飲み込んで未知の音楽体験を提示した『POLY LIFE MULTI SOUL』によって、ミュージックラバーからの信頼を確固たるものにしてみせた。

こんな風にこれまでの歩みをざっくりとレジュメすることは可能だが、『e o』の手前でバンドは新たな動きを見せていて、それがメンバー3人それぞれによるソロ作の制作。高城晶平がShohei Takagi Parallela Botanica名義で『Triptych』を、荒内佑がarauchi yu名義で『Sisei』を、橋本翼がジオラマシーン名義で『あわい』を発表することによって、各自がデモを持ち寄る制作ではソロとの差別化が難しくなり、『e o』では楽曲のアイデア段階から3人が意見を出し合い、音を投げ合って制作が進められた。この誰にも最終的な出口が見えない中での制作が、これまで以上にジャンルで括ることが難しい作風にも繋がっているし、結果的に「この3人だからこそ生まれる音楽」を結実させたと言える。





もうひとつの大きな背景となったのは、やはりパンデミックの影響だ。2020年2月にリリースされた「Fdf」を除く今回の楽曲は、スタジオに集まって録音を行うことが難しい状況の中、吉祥寺に簡易的な制作のできる拠点を構え、そこで3人で集まって作業をしながら作られている。なので、バンドでレコーディングをした割合は少なく、生ドラムがしっかり鳴っている曲も限定的で、ポストプロダクションも含めたDAW上の緻密な作り込みが大きな特徴となっている。その意味では、これまでもエクレクティックな作風を共通点としていたくるりがパンデミック下で制作した『天才の愛』との類似を見出すこともできるかもしれないが、あくまでそれは大枠の話。また、これまでのceroといえばリズム隊の厚海義朗と光永渉、さらには古川麦、小田朋美、角銅真実といったサポートメンバーがバンドを支えていて、こういったコレクティブ的なあり方というのもceroが時代を一歩先取っていた部分だった。しかし、今回に関してはやはり「3人」であることが強調される形になり、シーン的な動きとは乖離したものになっていると言える。

ジャズ、クラシック、R&B、ゴスペル、ブラジル音楽、ハイパーポップなどなど、ジャンル的な要素を抜き出すことはいくらでもできるが、その中の何かひとつをピックアップすることは難しく、シーン的な流れともとりわけシンクロしているわけではない本作の特色は、やはり「3人だからこそ生まれる音楽」という部分。『e o』というタイトルは「cero」から「c」と「r」を取るという言葉遊び的な手法で付けられているが、その手前ではセルフタイトルを付ける案もあったそうで、メンバー自身としても本作を何かと関連づける意図がなく、ただひたすらに「ceroの3人による音楽」と捉えていることが伝わってくる。それぞれのソロ作を挟み、もう一度メンバーのみで音と遊びながら作ったという意味では「原点回帰」という言葉を使いたくなったりもするが、それにしては『WORLD RECORD』とは似ても似つかない。「cr」はプログラミング用語で「行頭復帰」を意味する制御コードだが、この2文字が外されて『e o』というタイトルが付けられていることも、「前に戻ったわけではないよ」というメッセージだと解釈することにしよう。

なので、ここは発想を変えて、「3人」という目線で現在のシーンにおけるceroの立ち位置について考えてみる。例えば、初期のceroにとって大きな影響源だったフィッシュマンズの後期、あるいは初期のくるりといった名前が「3人」という観点での比較対象として思い浮かんだりもするが、2023年のここまでを振り返った上で、どうしても頭をよぎるのがYMOの存在だ。もともとceroは細野晴臣史観の影響下にあるバンドでもあるし、『Sisei』でクラシックとジャズのポストを探求した荒内佑の音楽家としての姿勢に坂本龍一の背中を重ね合わせることもできるだろう(中盤に置かれた「Evening news」や、ラストを飾る名曲「Angelus Novus」をはじめ、リリカルなピアノはアルバムを通して非常に印象的だ)。「ジャンルで括れない」ということは「欧米の音楽を(リスペクトはしながらも)安易にトレースしない」ということでもあり、YMOが世界で賞賛されたのはまさにそれが理由であったはず。最新のアーティスト写真ではメンバー3人がスーツを着こなしていて、それがアルバムの落ち着いたトーンともリンクするし、どこかYMO的なスタイリッシュさを感じさせるものでもある。



そう考えると、『スタートレック』シリーズのタイトルを冠した「Nemesis」や、『キャプテンEO』を想起させる『e o』というタイトルなど、作品全体に漂うSF的な世界観というのも、YMOからの連続性を感じさせるものだ。近年でいえば高橋幸宏のMETAFIVEが『攻殻機動隊』のテーマ曲を担当したりもしていたが、そのSF的な世界観は夢と現実の狭間を描いたCorneliusの『Mellow Waves』にも引き継がれ、量子力学や多重世界的なモチーフというのもceroとの共通点。Corneliusが6月に発表する6年ぶりの新作のタイトルは『夢中夢 -Dream In Dream-』と発表されているが、“夢で起こったこと忘れた”と繰り返す「Fuha」や、“いつでも閉じないで その目を 夢のさなかに”と歌われる「Sleepra」など、『e o』にも「夢」というワードが散見される。過不足のない音数によるサウンドデザイン、緻密に組まれたリズム、ポストプロダクションの重用、アンビエント寄りの音像、メロウなムード、SF的なモチーフ、さらには作品を重ねるごとに存在感を増している「歌」のあり方など、現在のceroの隣に並べるべくはCorneliusであり、その背景には偉大な先達であるYMOがいる、という構図が見えてくるようにも思うのだがどうだろうか。

そういえば、かつてceroが「Yellow Magus」をリリースしたときの取材で、「このタイトルってYMOを意識したものですか?」という会話をしたことを思い出した。もちろんceroはYMOを目指しているわけではないし、「『e o』はYMOのアルバムで言うとどれに近い」というような話にはあまり意味がない。ただ、ceroが『e o』で「この3人だからこそ生まれる音楽」を再確認し、簡単にシーンやジャンルで語ることのできない作品を作り上げたことは、彼らが今後もバンドとソロでの活動を並行させながら、国内外問わず下の世代に影響を与えるミュージシャンとしてキャリアを進めていく未来の礎になったはずだ。




cero『e o』
発売中
配信 / 限定盤CD + Blu-ray(¥4,950)
再生・購入:https://kakubarhythm.lnk.to/cero_e_o

「e o」 Release Tour 2023
2023年6月2日(金)宮城県 Rensa
2023年6月16日(金)広島県 広島CLUB QUATTRO
2023年6月18日(日)福岡県 DRUM LOGOS
2023年6月30日(金)北海道 札幌PENNY LANE24
2023年7月8日(土)愛知県 DIAMOND HALL
2023年7月9日(日)大阪府 GORILLA HALL OSAKA
2023年7月12日(水)東京都 Zepp Shinjuku
https://cero-web.jp/eo/

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