J-POPの歴史「1998年と99年、百花繚乱の90年代後半と幸せな結末」

ピンク スパイダー / hide with spread beaver

98年5月13日発売、hide with spread beaverの「ピンク スパイダー」。9枚目のシングルですね。年間チャートが11位。大ヒットですね。X JAPANは97年12月31日に東京ドームで解散コンサートをやりました。見に行きましたね。ずいぶん遅れて始まりました(笑)。その翌日98年1月1日に、hideさんはspread beaverとして活動を開始して、1枚目のシングル「ROCKET DIVE」に次いだのがこの「ピンク スパイダー」ですね。5月2日に自宅で亡くなっているところを発見されたので、その後に発売になったこの曲が遺作になりました。

5月7日の告別式は5万人の方たちが追悼に集まった。hideさんの訃報を聞いたのは、僕プラハだったんですよ。氷室京介さんの「炎の化石」っていうシングル、当時シングルでは結果的に出なかったんですけど、「炎の化石」のプロモーションビデオの撮影に行ってたんです。その撮影の現場に、hideが死んだらしいよというお知らせが届いて、今は亡くなってしまったライターの佐伯明と一緒に酒を飲みましたね。佐伯さんはX JAPANもhideさんも取材してましたから、かなり落ち込んでましたね。僕はGLAYのツアーの取材を抜けてプラハに行ってた。若かったなと思いながら、そのGLAYのツアーのタイトル曲をお聞きいただきます。



98年7月に発売になった、4枚目のアルバムのタイトル曲「pure soul」。「However」と同じ時期に出きて、同じカセットテープの中にデモテープが入ってたんだと思いますね。「However」とは違う陰影がある曲です。「夢を大事にしろよなんて いつからか言えなくなっていた」。このフレーズが大きかったですね。みんなが夢を歌ってる中で、そんなふうに言えなくなったんだ俺たちは、っていう歳のとり方。これがGLAYのヒューマニティとしてずっと流れてるんだろうなと思いますね。どう成長していくのか。

GLAYは97年にベスト盤『REVIEW-BEST OF GLAY』を出して、これが415万枚だったんですよ。globeを超えちゃったんですね。しかもその1週間後に出た、B'zのベストアルバムに抜かれたっていう。この300万だ、400万、500万だっていう、この数字は何だっていう時代ですね。ベスト盤ブームのピークでしたね。99年には宇多田ヒカルさんのアルバム『First Love』がついに700万枚までいってしまった。天文学的な数字の時代です。

コンサートでもそうでした。GLAYのコンサートの面でのそういう現象が、99年7月31日の幕張メッセ、20万人コンサートですね。最近HISASHIさんが、あれは本当は20万人いなかったんだよって言ってますけど、確かに正確に数えたわけじゃないでしょうけど、20万人コンサートって響きがすごかったですね。

GLAYのデビューアルバム『灰とダイヤモンド』はYOSHIKIさんが作ったエクスタシーレコードでしたからね。そういう流れの中でいうと、この人たちが登場しないわけにはいかない。LUNA SEA、98年のアルバム『SHINE』から「STORM」。

Rolling Stone Japan 編集部

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