ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの関係、『コンサート・フォー・ジョージ』という特別な夜

 
追悼ライブにおけるクラプトンの存在感

映画は哀悼の祈りに続き、クラプトンの「今夜はジョージ・ハリスンの人生と音楽を祝福します」との簡潔ながら、全出演者の思いが籠もった挨拶で始まる。

二人が出会ったのは、ビートルズがアイドル人気絶頂の60年代半ばのこと。当時、ヤードバーズを脱退しブルースを追求していたクラプトンだが、その卓越したテクニックは“Eric Is God”と称されるほどで、一時期イギリスで大ブームだったブルース・ロックの人気者となっていた。さらにジャック・ブルース(Ba)、ジンジャー・ベイカー(Dr)と組んだトリオ、クリームは、それまでにはなかったハードなサウンドとインプロビゼーションを持ち込んだライブでニュー・ロックを牽引する存在となった。

そんなクラプトンだけにジョージもギタリストとして大いに敬い(年齢はクラプトンが2歳下)、交流を深め、クリームの人気ナンバー「バッジ」を共作したりするなど音楽/プライベート両面で交流を深めていったから、この特別な追悼ライブをクラプトンが実質的に仕切ったのも当然と言えるだろう。



実際のライブから厳選、編集され参加者たちの心のこもったパフォーマンスをテンポよく見られる映画のオープナーとなったのが、ジョージ、ボブ・ディラン、トム・ペティ、ロイ・オービソン等とともにトラヴェリング・ウィルベリーズを組んだジェフ・リンのリードする「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」というのも意味深い。

ビートルズの全オリジナル・アルバム中、もっとも多くのジョージ・ナンバーが収録された『リボルバー』からの一曲で、LSD体験や傾倒するインド哲学など、当時のさまざまな思いが盛り込まれ、サウンド的にも大きく変貌を遂げていく時期の重要なナンバーだが、さらに言えば唯一となった1991年の来日公演のオープニングもまたこの曲だったのだ。

80年代後半から、久しぶりに音楽活動へと乗り出してはいたもののライブ、ツアーは74年の全米ツアーを最後に遠ざかっていたジョージの気持ちを動かし、日本ツアーが実現したのは親友クラプトンの献身的な貢献があったからだった。「ステージに出てギターを弾くだけで、あとは全部俺たちにまかせりゃいい」というクラプトンの言葉に勇気づけられジョージ、17年ぶりのツアーとなったわけで、そのバンドには今回の追悼ライブでも「マイ・スウィート・ロード」で素晴らしいスライド・ギターを聞かせるアンディ・フェアウェザー・ロウもいた。


『コンサート・フォー・ジョージ』より © 2018 Oops Publishing, Limited Under exclusive license to Craft Recordings

その来日公演でももちろん歌われた「恋をするなら(If I Needed Someone)」を次にクラプトンが歌うのだが、これはビートルズ1966年の日本公演で唯一ジョージがリードを取ったナンバーなのだから、この流れは嬉しい。そんなクラプトンがジョージの曲でとくに好きだと言うのが「イズント・イット・ア・ピティ」で、ここにゲストで加わるのがビリー・プレストンとくれば、昨年公開された『ザ・ビートルズ:Get Back』の光景を思い出す人も多いはず。すれ違う四人のメンバーたちの心を反映して映画撮影所やプライベート・スタジオで行われる新作レコーディングは煮詰まり気味、ジョージの脱退騒ぎまで起こるが、それを一気に好転させたのが下積み時代に知り合ったビリー・プレストンの訪問で、彼を引き込んでのセッションだった。

グループとしてのグルーヴを取り戻すきっかけとなったあの瞬間を思い出させるビリーの参加は味わい深く、さらにクラプトンの壮絶なギター・ソロが「ヘイ・ジュード」の最後のコーラスを連想させるパートとなっていくあたりはベテラン揃いのバンドならでは。

 
 
 
 

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