ネッド・ドヒニー来日記念 盟友ジャクソン・ブラウンが証言する若き日の姿とその才能

左からネッド・ドヒニー、ジャクソン・ブラウン(Photo by TOMMASO BODDI/WIREIMAGE)

 
ネッド・ドヒニー(Ned Doheny)の来日公演が今週11月10日(金)・11日(土)に東京、13日(日)に大阪のビルボードライブで開催される。

1948年ロサンゼルス生まれのネッド・ドヒニーは、ジャクソン・ブラウンやJ.D.サウザーと親交を深めながら1973年に『Ned Doheny』でデビュー。1976年の2ndアルバム『Hard Candy』はAOR史上に残る大傑作の誉れ高く、2016年にビルボードライブで開催されたリリース40周年記念の再現ライブも話題となった。今回の来日公演は名曲の数々を披露する特別なステージになるという。

再来日を記念して、ネッド・ドヒニー再評価を決定づけたアンソロジー『Separate Oceans』が発表された2014年に、盟友ジャクソン・ブラウンがドヒニーについて語った米ローリングストーン誌のインタビューを発掘・初翻訳してお届けする。




ローレル・キャニオンの音楽史において、ジョニ・ミッチェル、デヴィッド・クロスビー、イーグルスに比べれば、ネッド・ドヒニーの名前はささいな存在と見なされてきた。様々なアーティスト/音楽シーンを復活させてきたシカゴのリイシュー・レーベル、Numero Groupは『Separate Oceans』によって、その見方を変えようとしている。このキャリア回顧録は、ドヒニーのアルバムから厳選された楽曲と未発表のデモ音源(軽快なフォーク、ポップ、ソウルまで全19曲)に、この異色のシンガーソングライターについての長いエッセイを加えたものだ。

友人であり音楽仲間でもあるジャクソン・ブラウンは、全盛期のほとんどをドヒニーとともに過ごし、このシンガーの見過ごされてきた才能についてローリングストーン誌に語っている。

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ジョニ・ミッチェル(写真中央)の公式Instagramより。左の口髭を蓄えているのがジャクソン・ブラウン、一番右でギターを演奏しているのがネッド・ドヒニー。1972年撮影(Photo by Henry Diltz)

ネッド・ドヒニーとは1968年にローレル・キャニオンで出会った。お互いにお金も車もアパートもなかった頃で、僕らはすぐに仲良くなった。それぞれ自分のギターを所有していたけど、僕がフィンガーピッキングやフラットピッキングといったフォークスタイルや、曲作りのためのもっともベーシックな伴奏を弾くのに対して、ネッドは本当に演奏がうまかった。アコースティック・ギターをまるでエレキ・ギターのように弾くんだ。彼の流暢さと自信と独創性は、頭の中で他の楽器をたくさん聴いている人ならではのもの。彼は素晴らしいギターを弾くだけでなく、会話も流れるようで想像力に富み、印象的な視覚的言語で満たされていた。

僕ら2人は、彼の紹介でフレイジャー・モホークというプロデューサーの家に居候するようになった。彼は僕のマネージャーの家から坂を5軒ほど登ったところに住んでいて、僕がロサンゼルスにいた頃は、そこのソファに寝泊まりしていた。このモホークというプロデューサーが、ウォーレン・ジヴォンをはじめ、たくさんのソングライターやプレイヤーを紹介してくれたんだ。私たちはエレクトラ・レコードのレコーディング・プロジェクトに参加することになったーーいくつもの名前を掲げ、何度か生まれ変わったのち、最終的には解散し、全員がそれぞれの道を歩むことになった。

ネッドと僕はデュオとしてしばらくクラブで演奏していた。僕の曲における彼の演奏はとても気に入っていたけど、彼の曲に僕が多くを加えられたとは思わない。僕たちは多くの時間を(カリフォルニア州)ハイ・デザートで過ごした。レコーディング中、僕らはレコード会社から共同体のような形で支援を受けていた。LAに戻った僕たちはそれぞれアパートを借りて、彼はローレル・キャニオンに戻り、僕はエコー・パークに移った。僕の部屋の家賃は月70ドルだった。

Translated by Rolling Stone Japan

 
 
 
 

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