ニューエイジ再評価の今、「癒し系」と呼ばれたディープ・フォレストに耳を傾けるべき理由

西洋文明の黄昏、ディストピア的な音楽的混沌

ところで、ディープ・フォレストの日本盤CDライナー・ノーツを多数手がけてきた音楽評論家の大伴良則は、アルバム『Comparsa』の解説の中で、彼らの音楽について示唆に富んだ見解を書き残している。以下に引用しよう。

「(略)生き生きとしたRAW(ロウ)な音楽であるアフロ・キューバンへの傾倒を素直に表現したいというネイティブな気持ちがこめられている反面、その喜びへの賛歌の陰に、哀しみと困惑に満ちた世情があることを、ディープ・フォレストは知っているのである。(略)欧米人の彷徨とかげりゆく世界への、あるいは失われゆくものへの念がこめられているような気がするのだ。ヨーロッパに限らず、ここ日本を含む東洋などでもそうだが、西洋合理主義と、産業革命以降の科学優先が揺らぐこの20世紀末…その大きな動揺がすべて素直にこめられた音楽が、ディープ・フォレストの音楽であろうと思う」

こうした見解は実際のところ、経済、文化のグローバル化が加速度的に進行し、情報流通の飛躍的な増大が実現しつつあった90年代半ばにあって、それほど特殊な見方だったとはいえないかもしれない。しかし、一見「素朴」そうに響くディープ・フォレストのサウンドにどういった批評的な文脈が照射されていた(されうると理解されていた)のかを把握するためには是非とも知っておくべき視点といえるだろうし、何よりも、ディープ・フォレストの音楽を、西洋文明の黄昏、ポストモダン以降のディストピア的な心象風景と結びつけて理解するこのような連想は、他ならぬ彼ら自身の仕事の中にもはっきりと発見できるものでもあるのだ。


ディープ・フォレストのヒストリーを辿る映像

中でも最も重要に思われるのは、1995年に公開された映画『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』への楽曲提供だ。ジェームズ・キャメロンの制作・脚本、キャスリン・ビグローの監督による本作は、そのタイトルの通り、1999年の米ロスアンゼルスを舞台としたSF映画である。暴力が横行し恐怖が瀰漫する近未来の巨大都市を舞台に、他人の五感を擬似的に体験できる「スクイッド」という闇ソフトを巡って様々な策謀が入り乱れる様を描く同作は、近未来都市を舞台としたディストピア映画として、現在では一部のマニアから根強い支持を受けるに至っている。

この映画は、上のようにその概要を書き出してみるだけでも、ポジティブでエコロジー志向溢れる(ように見える)ディープ・フォレストの音楽とはいかにも相容れないように感じられるが、大変興味深いことに、劇中でも彼らの曲がいくつか使用された上、エンディング・テーマ曲として「While the Earth Sleeps」を提供しさえしたのだった。この曲は、ワールド・ミュージック・ブームの生みの親の一人でもあるあのピーター・ガブリエルのヴォーカルもフィーチャーされており、公開当時、新旧のファンを大いに喜ばせた。加えて、いつものディープ・フォレストの手法に倣って、同曲にはブルガリアの伝統音楽もサンプリングされており、同地の民謡歌手カティア・ペトロヴァの歌唱もフィーチャーされている。歌詞の一部を和訳してみよう。

知っているかい? 親愛なる私の母よ
私がどんなに不幸か
一日中、家に一人で座っています
外に出ることも許されない……



私には、『ストレンジ・デイズ/1999年12月31日』という不気味な映画の最後に流れるこの曲が、単に(主人公をはじめとした)登場人物の不安を映し出しているだけとは思えない。1995年という時代とブルガリア民謡のサンプリングに鑑みれば、ときのユーゴスラビア紛争における人道危機を訴える曲と解釈できるだろうし、より広い視点から捉えるのなら、映画で描かれる近未来のノワール世界を一つの象徴として、グローバル化と高度テクノロジー化時代が逆説的に引き起こす世界的な混乱と、そこにおける苛烈な人間疎外を強く想起させる装置としてこの曲が置かれているのだと考えてみることも可能だろう。性急なエレクトロニック・ビート、断片化された「民俗的」なサンプル、多重的な構造の中に漂う複数の歌声。この「While the Earth Sleeps」は、統合を失った(失いつつある)世界の権力地図と、そこに噴出する暴力と抑圧の連鎖、更にはテクノロジーの全方位的な発展とそれが宿命的に招来する不全を想起させるものとして、今もなお我々の耳を刺激してやまないのである。

いかにも牽強付会めいた解釈だと思われるかもしれない。しかし、当時ハリウッドから日本公開の前に送られてきた資料に、ディープ・フォレストを指して「フレンチ・インダストリアル・ツイン・ユニット」という説明があったという逸話を知れば、こうした読解をナンセンスだと切り捨てるわけにもいかなくなるだろう。あの雄大で朗らかなディープ・フォレストが「インダストリアル・ユニット」だって……!? そう。今こそ、ノスタルジックな消費の陰に隠れて見えにくくなっている音楽的混沌こそを深く味わい直してみるべきなのかもしれない。



ディープ・フォレストはその後、1999年のライブ盤『Made in Japan』や2002年のスタジオ・アルバム『Music Detected』でも好評を得るが、2005年にはサンチェーズが脱退、以降ムーケによるソロ・ユニットとして様々なフィーチャリング・アーティストを迎えながら活動を続けてきた。残念ながら国内盤の発売が途絶えた後も、コンスタントにオリジナル・アルバムを発表している。

目下の最新作は昨年2023年リリースの『Burning』だが、これはなかなかに面白いアルバムだ。伝承歌や伝統楽器を交えながらエレクトロニック・ミュージックとの融合を図るという手法が継続されているのはもちろんだが、かつてのアンビエント・ハウス〜ダウンテンポ的な味付けにも増して、ユーロ・ディスコ的なリズムや編曲が目立っている。「Burning Sun」などは、シンセサイザーのフレーズをはじめとしてかなり意図的にダフト・パンクを参照している様子で、フレンチ・エレクトロニック・ミュージックの思いがけない肥沃さと連関に、自然と顔が綻んできてしまう。こうしたディスコ回帰的な傾向は、この10年ほどの流行へのムーケなりの接近と考えるべきなのかもしれないが、ディープ・フォレスト以前の彼の初期キャリアに照らし合わせてみるなら、ある種の原点回帰ともいえそうだ。既に30年以上の活動歴を持つディープ・フォレストがこういう挑戦的なアルバムを出してくるというのは、素直に称賛すべきだと思う。



来たるべき日本公演の編成は、このところムーケと活動を共にしているセネガル出身のベーシスト、アルネ・ワデとのデュオ編成になるそうだ。ワデは、ディープ・フォレストのアイドルであるジョー・ザヴィヌルを始め、マーカス・ミラーやボビー・マクファーリンなどの一流ジャズ・ミュージシャンと共演してきた実力派である。とすると、舞台上では、鍵盤の名手たるムーケとの刺激的なインタープレイも期待できそうだ。ちょうど昨年末、ムーケとアデによるホーム・ライブの模様が披露されているので、予習のためにそちらの動画をチェックしておくのもいいだろう。また、ムーケ本人から寄せられた動画コメントによれば、過去の代表曲も披露する予定だという。




2024年の今、ディープ・フォレストを聴く。その体験は、単にサウンドの心地よさに浸るだけではなく、この30年間におけるグローバル・ポップの変遷と現在のあり方を考える知的な関心をも掻き立ててくれるはずだ。そういう意味で、今度の公演は、ベテラン・ファンのみならず、ピンクパンサレスの「Do You Miss Me?」のサンプリング・ソース(「Night Bird」)として初めてディープ・フォレストの名を知ったような現代のリスナーにとっても示唆するところは少なくないだろう。

かつてのキッチュはにわかに現在のクールと隣り合い、円環を描き、ノスタルジアの輪を超えて、最文脈化の複雑な文様を描き出していく。ディープ・フォレストとは、ポップ・カルチャーにおけるそういう一連のダイナミズムをわかりやすく体現する、決して無視できない存在なのだ。






ディープ・フォレスト来日公演
「BURNING TOUR 2024 - 30th Anniversary」
2024年4月8日(月)・9日(火)ビルボードライブ東京
1st Stage | Open 17:00 / Start 18:00
2nd Stage | Open 20:00 / Start 21:00
サービスエリア/カジュアルエリア:9,800円/9,300円(1ドリンク付)
>>>詳細・チケット購入はこちら


【チケットプレゼント】
ディープ・フォレスト来日公演

ビルボードライブ東京公演に、Rolling Stone Japan読者2組4名様ずつをご招待します。

【応募方法】
1)Twitterで「@rollingstonejp」「@billboardlive_t」をフォロー
2)ご自身のアカウントで、下掲のツイートをRT

【〆切】
2024年3月11日(月)
※当選者には応募〆切後、「@billboardlive_t」より後日DMでご案内の連絡をいたします。

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