MIKAが語る、日本と中国で移ろう情景、目指すべきアーティスト像

MIKA

ハワイで生まれ育ち、16歳の時に日本で4人組ボーイズグループ・INTERSECTIONのメンバーとしてデビュー。その後、中国に移り住み、ボーイズグループ・INTO1のメンバーとして中国デビューを果たしたMIKAが本格的にソロ活動をスタートさせた。初のEP『bleached』は英語と中国語の楽曲を収録。ハワイ、東京、北京と住む場所を変えてきた中で経験した出会いと別れを中心に、これまで感じた心象風景を音数の少ないメロウなサウンドに乗せて綴っている。作詞・作曲だけでなく、ビジュアル面も含めた全体的なクリエイティブに初めて携わり、MIKAという表現者の軸が露わになった今作を機に、様々なことを聞いた。

【写真を見る】MIKA

ーハワイで生まれ、日本と中国でグループとして活動されていました。複数の国で活動した経験はどんな学びがありましたか?

MIKA:それぞれの場所に滞在していた時の自分のライフステージは大きく違います。東京に住んでいた時はこの業界に入りたての16歳の子供でした。ステージに立つ人がどうあるべきか、アーティストとしての振る舞いや礼儀に加えて歌やダンスのスキルといった基本となることを東京で教わりました。その後中国に移り住みましたが、そこでは東京での8年間の経験すべてを活かすことができたと思っています。中国の音楽業界にいきなり飛び込んだような感覚だったんですが、スピーディーな日々が始まり、東京での経験がなかったら前向きに向き合えなかったと思うんです。そこで人生観も広がり、今の自分のアーティスト像に繋がる経験ができたと思っています。



ー音楽的に影響を受けたアーティストというと?

MIKA:聴く音楽やアーティストは時期によって結構変わるんですよね。僕のルーツはハワイなので、ハワイのアーティストのライフストーリーに強い影響を受けています。ハワイというすごく小さい島で生まれ育って、世界的なアーティストになるのはとてもすごいことです。そういう面でブルーノ・マーズのことはすごく尊敬しています。パフォーマンスも完璧でひとつも悪いところが見つからないですよね。

ー初のEP『bleached』は全体的にメロウなサウンドと喪失感を宿した歌詞が印象的です。どんな作品になったと思いますか?

MIKA:全体を通して自分の人生の道のりが表現されています。ハワイで生まれて、東京に行って、中国に移り住む中で、聴く音楽も制作する音楽も変化していく様が描かれていると思っています。場所そのものというより、いろいろな人たちとの出会いに強い影響を受けました。その時々の自分の経験を振り返って感じたことを綴っていったんです。例えば、「melancholy song」は幼少期のハワイにいた時期から始まり、東京、中国でもよく聴いているような楽曲の影響が色濃く出ていて、自分にとってのスタンダードとなるサウンドだと思っています。「那一刻我觉得这世上不会有比我更喜欢你的人了」はタイトルが中国語ですが、中国に移り住んでからこういったアコースティック調のサウンドをよく聞くようになりました。王道の中国のポップスの系譜にある曲だと思います。「so I don’t forget」は僕の人生観を歌っています。歌詞に「平和」という単語が出てきますが、ネガティブなこともポジティブなこともちゃんと受け止められるような状況にいる今のピースフルな自分をとてもよく表した歌詞になっています。







Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE