オアシス、世界を制した1996年の超貴重インタビュー「あの頃の俺らはマジで最高だった」

 
労働者階級としての生い立ち

オアシスのメンバーにとって、あらゆる問題は階級に起因する。それは社会における礼儀やマナーではなく、労働者階級、中産階級、そして上流階級というヒエラルキーのことだ。彼らはマンチェスター出身で、誰が何と言おうと労働者階級に属していた。それは苗字と同じく変えようのない、彼らのアイデンティティの一部だ。

「労働者階級だからってひがんでるわけじゃない。俺は俺だ」とリアムは言う。「誰かを見下したりなんかしない。もし俺が中産階級の生まれで、母親が何でも与えてくれたなら、誰かを見下していることを認めただろうね。今は金があるから、もし子供ができたら何でも与えるつもりさ」。

子供の頃、リアムとノエルは寝室を共有していた。ノエルはそのことを今でも不満に思っている。なぜなら、18カ月年上の兄ポールは自分の部屋を持っていたからだ。彼らは毎日同じようなことをして過ごしていた。2人はサッカーをしたり、喧嘩をしたり、音楽を聴いたり、学校をサボってはさらに喧嘩をするか音楽を聴くか、そうでなければサッカーをしていた。

「面白いことに、その頃のことはあまり覚えていないんだ」とノエルは言う。「恵まれていたとは言い難いけど、普通だったよ。今の俺たちとマンチェスターの人間を隔てているのは、俺がここに座ってるってことだけで、やつらはまだヘロインをやってたり、失業手当をもらってたりする。でも俺たちも似たようなものだった。俺ら5人とも学歴はゼロだ。資格とかそういうのとはまるで無縁さ」。

ノエルにとって、学校での勉強は特に苦痛だった。彼は読字障害を抱えていたからだ。「当時の俺はそれが障害だとは知らなかった」と彼は話す。「俺が書いたものを誰かに読んでもらうと、『意味がわからない』って言われるんだ。俺が自分で読み上げて聞かせると、『言葉が半分ぐらい抜けてる』って言われた。でも俺に言わせれば、ちゃんとそこにあるんだよ」。



ギターに興味を持ち始めた13歳の時、ノエルは学校の音楽の授業から締め出された。さらに悪いことに、その翌年にギャラガー家の父親(昼は建設作業員として働き、夜は時折カントリーミュージックのDJをしていた)が家族を捨てた。

「18歳の時以来、親父には会っていない。今、俺は28歳だ」とノエルは言う。「俺がバンドで活動するようになったのは24歳になってからだけど、18歳から24歳の間もあいつと話すつもりはなかった。金持ちになったからって、それは変わらない。あいつは今でもアホだし、これからもずっとそうだろう。あいつが一人で暮らしていようが、失業手当を受け取っていようがどうでもいい。あいつはずっとクソだった。いつも家にいなかったし、常にパブに入り浸ってた。あいつがついに家を出たとき、俺たちは清々したって喜んだんだ」。

リアムの態度はより単純明快だ。「あいつに会ったら、ケツを蹴飛ばしてやる」。

振り返ってみて、ノエルは母親が苦労していたことを理解している。「俺のお袋は俺ら全員よりも強い」と話しながらも、彼はそういう境遇が「必然だった」と考えている。「よくあることさ」と彼は言う。家庭が崩壊し、父親が家を出て、時には母親が一人で子供を育てることになる。ギャラガー家の場合、9歳のリアムと10代のノエルとポールが残されたが、2人の兄が末っ子に対して父親がわりになることはなかった。

「冷たいとか厳しいとか言われるかもしれないけど、マンチェスターで生まれ育った労働者階級の子供にとって、そういう環境は別に残酷ってわけじゃなくて普通なんだ」とノエルは言う。「小さな弟の感情面について考える余裕なんてないんだよ。生計を立てるために、必死で働かなきゃならないんだ」。

食べていくために、ノエルは犯罪に手を染めたこともある。18歳の時、彼は盗みに入ろうとしたところを捕まった。それからしばらくして、彼はインスパイラル・カーペッツのローディとなり、故郷のマンチェスターを離れる。

家に残される形になった15歳のリアムは、直後に喧嘩が原因で学校を退学させられる。彼は喧嘩の相手から頭をハンマーで殴られて頭蓋骨にヒビが入ったが、さほど気にすることもなく、ほどなくしてフェンス作りの仕事に就いた。

「他のやつらが学校に行ってる間、俺は週に70ポンド(約108ドル)稼いでた」とリアムは話す。「俺はめちゃくちゃ金持ちだった。ざまぁみろさ。先公にはクソでも食らえって言ってやった」。


1994年のオアシス(Photo by James Fry)

オアシス結成のきっかけを作ったのは、9歳の時に父親に丸刈りにされて以来「ボーンヘッド」と呼ばれていたポール・アーサーズだった。彼はリアムとマッギーガン(同じく喧嘩で退学処分となっていた)、そしてドラマーのマッキャロルをバンドに勧誘した。その時点では成功の見込みはほとんどなかったが、1992年にノエルがマンチェスターに帰ってきたことで風向きが変わる。4年間にわたって他人のギターをいじっていたノエルは故郷に戻り、自分がリードギターを弾いてすべての曲を書くと主張し、オアシスを完全に乗っ取ってみせた。メンバーからの抵抗はほとんどなかった。

「何かが起きるような気がしてた。それが何なのかは分からなかったけど」。リアムはバンドの初期の頃についてそう語る。「でも働きたくないってことだけは確かだった」。

兄が曲を書かなかったらどうするつもりだったのか?

「それって『もし世界が四角だったら?』って言うようなもんだろ」とリアムは言う。とことん挑発的な表現を探すかのように間を置いてから、彼はこう続けた。「それか『もし女王におっぱいが10個あったら?』ってな」。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE