ファレルが心酔するレトロ・ソウルアーティスト『ライオン・ベイブ』とは

対照的なふたりが出会ったのは、ボストンのノースイースタン大学でのとあるパーティだった。当日、新入生だったグッドマンはDJとしてiPodから曲を流していた。友人を訪ねて来ていた4年生のハーヴィは、古びたソファに座って暇を持て余していたところ、グッドマンが作ったというテンプテーションズの『エイント・ノー・マウンテン・ハイアー』の聴きなれないバージョンを耳にした。

「カニエ・ウエストの『スルー・ザ・ワイヤー』やキャムロンの『オー・ボーイ』みたいなチップマンク・ソウルに、当時すごくハマってたんだ」ニューヨークにあるファースト・アクセスのオフィスで、グッドマンは当時を振り返ってそう話す。学生寮で時間を持て余していた彼は、アストロ・ロウという名前で活動を始める。高校時代にはバンドでルー・リードのカヴァーをしていたが、メンバーたちと離れたこと、そしてJ・ディラやマッドリブの音楽と出会ったことをきっかけに、ビートメイキングに目覚めることになる。

ハーヴィとグッドマンが再会したのは5年後、大学を卒業してニューヨークに戻った頃のことだった。当時グッドマンはブルックリンにあるソウル/ファンク系のレコードショップ、トゥルース・アンド・ソウルで働いていた。後にライオン・ベイブの運命を大きく左右することになる『トリート・ミー・ライク・ファイア』でサンプリングされているレコードは、グッドマンがここで発見したものだという。「あのビートが完成した時、ジルはすぐに反応して歌い始めたんだ」彼はそう話す。「父が外でトランプしてた時にね」

「あんな風に歌ったことはそれまでなかったの」ハーヴィはそう話す。「自分の部屋に閉じこもって、ヴァースを書き終わるまでは外に出ないって決めたの。ルーカスのあのビートに出会うまで、そんな気持ちになったことはなかったわ」ハーヴィーは歌うことへの情熱を、友人たちはおろか、グラミー賞やトニー賞にノミネートされた過去を持つ母親にさえも話していなかったという。

Translation by Masaaki Yoshida

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