プリンスの恩師による回想録:稀代の天才の素顔を語る

デビュー前のプリンスにレコーディングの機会を与えたぺぺ・ウィリー(photo by Sherry Rayn Barnett/Getty Images)


プリンスと初めて会ったのは彼が12歳の頃だった。まだあどけなさの残る少年という印象だったよ。軍隊から解放された1970年に、私はミネアポリスに住んでいた彼女に会いに行った。彼女の叔母の家を訪ねた時に、プリンスとその従兄弟のチャールズと会ったんだ。2人はレスリングごっこをしてたよ。

次に会ったのは彼が15歳の時だった。勤めていたニューヨークの電話会社を辞めた私は、1974年にミネアポリスに戻った。その頃にはプリンスの従姉妹の女性は私の妻となっていたこともあり、必然的に彼とよく顔を合わせるようになったんだ。会うたびに音楽業界や出版権、それに著作権なんかについていろいろと聞かれたよ。それからしばらくして、妻の父親が企画したスキー場でのパーティで彼のバンド、グランド・セントラルのライブを観たんだ。アース・ウインド&ファイアーなんかのカヴァーをやっていたんだけど、悪くないと思った。それで当時彼らのマネージャーを務めていたモーリス・デイの母親に、何か一緒にできないかと話を持ちかけたんだ。彼らは私がニューヨークからやって来た大物プロデューサーか何かだと思ったらしいよ(笑)



それから私たちは一緒にリハーサルを重ねるようになった。1975年のことで、プリンスは16歳になったばかりだった。グランド・セントラルは5人編成で、モーリス・デイがドラム、アンドレ・シモンがベース、プリンスがギター、アンドレの妹のリンダがキーボード、そして自分のことを「ハリウッド」と呼んでいたウィリアム・ダウディがパーカッションを担当していた。オリジナル曲を聴かせてくれという僕のリクエストに応じて、彼らはプリンスが書いた『セックス・マシーン』をやってくれた。曲は文句なしに素晴らしかったんだが、10分もの長尺でね。私は彼らにこう言ったんだ。「素晴らしい曲だ。でもラジオで流してもらいたいのなら、今のままじゃダメだ」それ以降、彼らは短い曲を作るようになった。アンドレが書いた『ユー・リマインデッド・ミー・オブ・ミー』という曲も素晴らしかったし、他にもいい曲がいくつかあった。

当時プリンスとアンドレは、どちらがより多く曲を書けるか競い合っていた。2人は一緒に住んでいて、互いに自分の部屋でせっせと曲作りに励んでいたんだ。どういう事情があったのかは知らないが、当時プリンスは両親の元を離れて、アンドレと一緒に住んでいた。彼は譜面を読むこともできなかったが、曲の作り方を独学で身につけていったんだ。

あるリハーサルの最中に、プリンスはギターをキーボードに持ち替えて、リンダにこう言った。「こうやって弾くんだ」彼はキーボードをギターと同じくらい見事に弾きこなした。それだけじゃなく、アンドレから借りたベースでもすごくファンキーなプレイを披露してみせた。すごい才能だと思ったよ。

Translation by Masaaki Yoshida

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