ジェームス・ブラウン 『セックス・マシーン』(1970年) (原題:Get Up (I Feel Like Being a) Sex Machine)
70年代は西欧にとって最もセクシーな時代だったと言える。産児制限運動が収まり、AIDS問題が勃発する以前の60年代のユートピア的ファンタジーがそのまま、想像を超えた可能性の世界へと飛び込んだ。ジェームス・ブラウンは、卑猥さをシンプルでキャッチーなグルーヴに自由奔放に乗せ、男女の忍耐力とバイタリティを表現した大ヒット・シングルを出した。若くやる気のみなぎった給料の安い新しいバンドJ.B.’sには、ブーツィ・コリンズ(ベース)とキャットフィッシュ・コリンズ(ギター)の兄弟のほか、ジャボ・スタークス(ドラム)が参加した。ボビー・バードは、ジェームス・ブラウン・オーケストラの分厚いホーンセクションをフィーチャーした『Give It Up or Turnit a Loose』の再アレンジ・バージョンで、ハイプ・マンとしてブラウンと奇跡の即興を繰り広げた。
ジャクソン5 『アイル・ビー・ゼア』(1970年) (原題:I’ll Be There)
1969年のヒットシングル『帰ってほしいの(原題:I Want You Back)』でメジャー・デビューしたジャクソンズ(ジャクソン5)は、その勢いのまま『ABC』、『小さな経験(原題:The Love You Save)』と立て続けにヒットを飛ばし、モータウン(レコードレーベル)の次世代を担う新たな希望の光となった。続いてリリースしたグループの最初のバラード曲『アイル・ビー・ゼア(原題:I’ll Be There)』は、その後10年以上に渡りモータウン・レーベルの歴史上空前のベストセラーとなった。献身的な永遠の愛を歌える10歳そこそこの子供など、マイケル・ジャクソンをおいて他にはいなかった。マイケルのパフォーマンスは、子供らしくおとなしい甘さを見せる反面、大人顔負けの爆発的な激しさも表現した。曲のクライマックスでマイケルが、フォー・トップスの『アイル・ビー・ゼア』へのオマージュと思われるフレーズ「振り返れば俺はそこにいるぜ、ハニー!」を叫ぶ姿は、その後スーパースターとなるマイケルの姿を予見させた。