YMO、岡村靖幸らに携わってきた史上最強のA&R・近藤雅信のキャリアを辿る

田家:1979年4月にアルファレコードに入社されたところから始まってらっしゃるわけで、その時はどういうことをおやりになりたかったんでしょう?

近藤:子供の頃から音楽がとても好きで、色々な音楽を聴いていたんです。高校に入った時に、バンド活動を若干始めて。そうこうしているうちに『ニューミュージックマガジン』っていう雑誌を友達に教えてもらって、そこから周辺のことを学ぶようになったんですね。福田一郎さんの「リオン・ラッセルと彼をとりまく仲間達」とか興味深いエッセイも結構入っている雑誌で、今は『ミュージックマガジン』という名前になっているんだけど、ミュージシャンだけじゃなく、プロデューサーとかエンジニアの人、スタジオとか周辺状況を学ぶようになって。だんだんそういう興味が高まっていったっていうところと、バンドでドラムをちょっとかじったんですけど、林立夫さんというドラマーと、高橋幸宏さんていう、この2人のドラムを聞いて、とても敵わないなと10代の時に思ったんですよね。ちょっと評論家もやってみたいなって思った時期もあったんですよ。当時は音楽評論家のスターが生まれてくる時代で、大貫憲章さんとか小倉エージさんとかいろんな方がいてすごく刺激を受けたし、書くっていう仕事も素晴らしいなって色々夢を見ていた時代なんです。そのうちに自分の性格からして四六時中机に向かうのは合わないなと思ったのと、海外のプロデューサーと言われる人たちで、例えばブルース・スプリングスティーンの「Born to Run」をプロデュースしたジョン・ランドーとか、一連のアトランティック・レコードを作ったアーメット・アーティガンとか、いろんなプロデューサーの存在を知るようになって、そういった人たちに強い憧れを抱くようになってレコード会社に入りました。

田家:1977年にアルファミュージックがレコード会社を作って1979年にお入りになった。今月は、近藤さんにご自分のキャリアの中で出会われた方で忘れられない曲を選んでいただいております。1曲目、細野晴臣とイエロー・マジック・バンド、1978年の曲で「はらいそ」。



田家:1978年に発売になりました。アルバムのタイトル曲でもありますね。『トロピカルダンディー』『泰安洋行』と並んで細野さんの70年代トロピカルの3作目ということになります。そしてイエローマジックオーケストラの序章。これは近藤さんがアルファ入る前の年ですね。

近藤:そうですね。アルファに入ったのも細野さんと仕事がしたかったのが大きな理由でしたし、細野さんが関わってらっしゃった仕事、小坂忠さんのアルバム『HORO』とか、雪村いづみさんの『スーパー・ジェネレイション』とか素晴らしい作品がいっぱいあったんで、そこに関わっていきたいという想いがあって入ったんですけど、最初は洋楽に回されたんですけどね。

Rolling Stone Japan 編集部

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