キング・クリムゾン「21世紀のスキッツォイド・マン」当事者たちが明かす50年目の真実

「スキッツォイド・マン」に影響を与えた音楽と文学

この曲の不吉な騒々しさを考えればぴったりと言えようが、「21世紀のスキッツォイド・マン」は地下室で誕生した。キング・クリムゾンという名がつく少し前のこと、1969年の1月、このバンドは最初の顔合わせを行った。ロンドンのハマースミス地区にある、フルハム・パレス・カフェの下のリハーサルスペースでのことだ。もともとはアート・ポップバンドのジャイルズ・ジャイルズ&フリップから派生したバンドとして始まり、最終的にはフリップ、木管とキーボードを担当するイアン・マクドナルド、ドラマーのマイケル・ジャイルズがメンバーとなった。マイケルの弟――ベーシストのピーター――は辞め、新たなグループでは、フリップの子供時代からの友人であり、気鋭のロック・アイドルであるグレッグ・レイクがかわりに加入した。


マイケル・ジャイルズ、ピーター・ジャイルズ(Ba, Vo)の兄弟とロバート・フリップの3人で結成された、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップの1968年作『The Saga of Rodney Toady』


右上から時計回りにグレッグ・レイク(Ba, Vo)マイケル・ジャイルズ(Dr, Perc, Vo)、ロバート・フリップ(Gt)、イアン・マクドナルド(Key, Mellotron, Woodwind, Vibes, Reeds, Vo)(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)

「とても小さくて薄汚い地下室だった。スプーンに油のこびりついた、ギリシャ風のカフェの下のね」マイケル・ジャイルズはキング・クリムゾン初期の本拠地について、ローリングストーン誌にこう語ってくれた。

「ジョージのカフェ、とみんな呼んでいた」と述べるのはイアン・マクドナルド。ニューヨークシティに構えるアパートメントで8月に収録したインタビューでのことだ。「オーナーは地下室を誰であれ使いたい人に貸していた。そこに私たちが収まった。マイケルはツーバスのドラムキットを持ち込み、私はメロトロンと巨大なアンプ、100ワットのマーシャルをいくつも持ち込んだ。まさにぎゅうぎゅうとお互い重なり合っていた、ほとんど文字通り。窮屈ではあったが、この親密さが自分たちのやっていることのクリエイティヴな側面に貢献したのかもしれない」

バンドのメンバーたちは音楽地図のいたるところから受けた影響を携えてこの空間に集まった。「ロンドンに着いた1967年、私の内側をふつふつと沸かせていたのは『サージェント・ペパーズ』だった」1995年にフリップはこう述懐した。そのインタビューでは、他の試金石として、ジミ・ヘンドリックスとベラ・バルトークの弦楽四重奏が挙がっている。




マクドナルドもビートルズの名前を重要なインスピレーション源として挙げており、アルトサックス奏者のジョン・ハンディによる切迫したモード・ジャズも並べている。一方で、ジャイルズによると彼は当時ジョン・コルトレーンのドラマーであったエルヴィン・ジョーンズの「なめらかな奔放さ」を称賛してやまなかったともいう。レイクはイギリスの教会聖歌を自分のなかに吸収しており、その様子はデヴィッド・ヴァイゲルによるプログレ史『The Show That Never Ends』に詳しい。また、レイクはビートルズ、シャドウズ、そしてジャニス・イアンをクリムゾン以前のいくつかのバンドでカバーしていた。シンフィールドは「熱狂的な活字中毒」を自称し、シェイクスピアやウィリアム・ブレイクにはじまり、フィリップ・K・ディックやハリール・ジブラーンまであらゆる者に通じていた。

「スキッツォイド・マン」は、煎じ詰めればこうした要素すべてを反映していると言えよう。

Translated by imdkm

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